2009年5月11日月曜日

おみくじ

週末は家族で,地元の多田神社にお参りしてきた.
そういえば,今年はいろいろゴタゴタしていて,
新年のお参りさえ行っていなかったということで,
今頃詣でることになったのである.

多田神社は,源満仲他,頼光など5名の源氏が
祭られていて,そのために,「清和源氏発祥の地」と
されている(らしい).
私は日本史,世界史ともに(もっというと地理も),
からっきしなので,それがどのくらい重要なことなのか,
よくわからないのだけれど,
源頼光といえば大江山の酒呑童子退治の話で有名だから,
少しは親しみが持てる.

境内には貴乃花,曙両横綱が植えた木と
その碑があるので,そちらの方がむしろ気になる.
(両横綱が,源満仲の何かの1000年記を記念して
境内で土俵入りをされたのだという.
大阪場所で貴乃花が優勝した二日後に行われたので,
たいへんな人の出だったと,神職の方が話していた)

とはいっても家族の楽しみは
ここで引く「おみくじ」である.
そういえば,この数年はいつもここで引いている.
家族で見せ合って楽しむのである.
今年は私は「吉」だった.
まぁ,良しとしよう.

おみくじには,いろいろなことが書いてある.
「案ずるより産むが易し」だとか,
「失せもの見つからず」とか,
それらを天の声と思って,日々また精進するのである.

おみくじを信じるのか,といわれると困ってしまうが,
基本的にはあまり信じていないような気がする.
でも,そこに並んでいる言葉は,
自分を顧みるにはちょうど良いものばかりである.
すなわち,自分の生活態度を顧みるブレインストーミングの
キーワードとしては,なかなかに有用であると思っているのである.

昔の人は,辻に立って,通りすがりの人の会話を聞いて,
天の声としたという.
辻占とか,橋占とかいうものである.
それが実際に神の声かどうかは別にして,
なにか考えを始める際のランダムな入力であるとは
考えられないだろうか.

人間は考えを始めるときに,
なにもないところから発想をしていくのは難しい.
なんでもいいから,とにかく入力があって,
そこから連想が始まり,
考えがまとまっていくのではないだろうか.
「おみくじ」や「辻占」は,その思考をはじめるための
ランダムインプットなのではないだろうか.

それらは昔からの市井の人々の
ひとつの知恵なのだろうと思う.


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