2007年9月7日金曜日

武道の学校体育への必修化について

このブログでは政治的・行政的な話はしたくないのだけど,
中教審がまとめた学習指導要領を改定する素案というものに,
中学授業において武道を必修化するとの
内容があったということを聞いて
一応武道を稽古するものとして私の考えをまとめておく.

私は基本的に武道必修化の必要性はないのではないかと思う.
「伝統と文化の尊重」との方針のもと出されたアイデアだろうと
推測されるが,本当にそうなるのだろうか.
「伝統と文化の尊重」を目的として武道の必修化をするならば,
それが達成されるかどうかははなはだ疑問である.

そもそも,必修化しようとしている「武道」とは,
現在,競技スポーツ化された柔道や剣道なのではないだろうか.
単純に競技のルールや技などを週に1度学ぶことになるのであれば,
それは他のスポーツを行うことと全く変わりがないと思う.

そもそも武道とスポーツとの違いとはなんなのだろうか.
私は実は明快に答えることが未だできないでいる.

Sportの語源は気晴らしであるという.
そう考えると人の生死を問題とする武道とは大きく異なる気がする.

しかし,現在のスポーツのトップアスリートたちには
それこそ生命をかけてその競技に賭けている人たちがいる.
その練習量,真剣さは決して武道修行者に劣るものではない.
むしろ一般的にはずっと苛酷な状況下にあったりする.

武道は常在戦場の心で24時間修行するものであり,
試合に向けてコンディショニングを整えるスポーツとは異なるのだ,
という人もいる.しかし,プロ野球選手などはどうだろう.
ストイックに節制し,つねに最高の状態に自分があるように努力している.
武道だけが不断の努力を行っているわけではないのだ.

こうした観点では,武道修行者よりもむしろスポーツアスリートの方が
ずっと厳しい状況に自分を置いているような気がする.

それでは武道とスポーツの違いは何なのか.
それはやはり伝統と文化のバックグラウンドの違いというべきなのだろう.

武道は日本の侍文化の思想・哲学が結実したものである.
単なる格闘術ではないのだ.
もちろんスポーツにも文化的背景はある.
だから,武道との違いは,その文化的背景の有無ではなく,
その背景が日本の侍文化であることなのだろうと思うのである.
これが最近の私の認識である.
(「侍文化」というのが適当であるかどうかはまだ検討が必要だと思うが)

では,武道が武道たるゆえんのその「思想・哲学」が
学校教育の週に1時間くらいの授業で学ぶことができるのだろうか.
それは非常に困難であるといわざるを得ない.
武道の特色は,そうした思想・哲学を
実践の中で学ぶことにある.
いや,実践しなければ武道とは呼べないのである.

それを中学校の授業で伝えることができるのだろうか.
それを有効に伝えることができる教師がどれだけいるのだろうか.
そうしたことを鑑みると,この武道の必修化による
「伝統と文化の尊重」という目的の達成は,甚だ疑問なのである.

(町道場に通う修行者も確かに道場での稽古は
週に1回程度で短時間である.
しかし,彼らは強いモチベーションをもって,
道場外でも24時間稽古している(はずな)のである.
それを中学生に同様に行えというのであろうか)

道場に集まって,少々の礼法と技を学ぶだけでは,
それを武道と呼ぶことはできないのである.
中途半端で終わってしまうことを私は危惧する.
むしろ生徒たちがより興味をもつことができるスポーツ種目を
真剣に楽しむことを教えた方が,
ずっと教育として効果があるのではないかと思うのである.


#柔剣道もすぐれた指導者につけば,スポーツ競技とは異なる
武道としての柔道・剣道の修行が可能だと思います.
決して柔剣道がスポーツだと決めつけているわけではありません.

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