2010年5月1日土曜日

内面の美は姿勢から

ゴールデンウィークに突入である.
私も明日からお休みである.
(今日までは,大学祭「いちょう祭」で出勤)

今週は稽古もできなかった.
身体がなまってしまう.
しかし,「身体がなまる」というのは
決して筋肉が落ちるということをいうのではない.
以前にも書いたが,稽古を継続するというのは,
感覚のズレをフィードバックして微調整するため
なのである.

イチローで言えば(と私が勝手に思っているだけだが),
バットを手に持つ感覚が
同じであるために,毎日ズレを修正する,
というような作業である.

私が稽古している合氣道の場合,
たぶんそれは姿勢なのだと思う.
生活の中で気を抜いていると,
姿勢がだんだん崩れていく.
身体の軸がブレていく.
これを稽古で修正するのである.

たぶん私の合氣道の先生が,日常生活の中でも
稽古をしているというのはこの意味なのだろうと思う.
別に四六時中合氣道の技を稽古しているわけではない.
心と体の遣い方,すなわち姿勢を気をつけているのだと
思うのである.
だから逆に言うとあまり技を稽古する必要がないのかも
しれない.

残念ながら私は稽古が必要なのである.
姿勢を矯正して良く作業が毎週のように必要だ.

最近,若い女の子をみると誰でも可愛く見えるのだけれど
(逆にいうと,区別がつかなくなってきた...
全くのオヤジの兆候である)
外見とは別に,美しいと思う方もいる.
もちろんそれは年齢に関係なく.
いやむしろ年齢を上手にとられている人なのだろう.
立ち居振る舞い,表情に美しさ,知性が現れている.
逆に外面だけ美しく着飾っていても,
少しの時間,一緒に過ごせば
すぐに化けの皮は剥がれてしまう.

"Beauty is only skin deep."

という言葉を思い出す.
まさにその通りなのである.
外面だけで決まるわけではない.
姿勢には,その人の心が現れるのだ.

この歳になると外見よりもやはりその中身に
興味を持つようになるようだ.

"Beauty is more than flesh."

こうした言葉は女性だけのものではない.
男ももっと内面の美に気を使うべきなのだと思う.
男らしさとは決してゴリラになることではない.
やはり知性,美しさがなければ.
まずは姿勢に気をつけよう....と自戒する.

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