2010年8月24日火曜日

ホテル カリフォルニア,名曲回帰

最近,

Eagles, "Hotel Calfornia"

を聴いて,胸が痛くなるほど感動した.
東京から大阪に向かう新幹線の中で,
FMラジオから流れていた
イーグルスの特集で聴いたのである.

もちろん,この曲なんて
これまで何度聴いたかわからない.
それこそタコができるくらい
耳にしているはずである.
(確かに最近は聴く機会がなかったけど)

それなのに,それなのにである.
曲紹介とともにあの冒頭のギターソロが
衝撃的に美しく響いたのである.

あぁ,なんて切なくて
ほの暗い旋律なのだろう.
はっとそう気づいてから
私はもう耳が離せなくなっていた.
80年代のあの突き抜けた
明るいポップス全盛の時代以前に,
このような曲が生まれていたのである.
じっと耳を凝らして
聴かなければならないような曲が.
そう,70年代はそうした時代だったのである.

私が青春を過ごした80年代,90年代は
そういう雰囲気ではなかった.
ロックは,プログレからハード,メタルへと
移り変わっていったけれど,
ほの暗さや哀切さというものはすでに
そこにはなかったように思う.

いや,この曲が歌うようにSPIRITSは
1969年にはもはや無くなっていたのかもしれない.

それにしても,この曲がこんなに
美しく響くとは...
自分ながらに驚く.
最近の曲もいいものはいいのだけれど,この頃は
この年代のものに強く心を惹かれるようになった.
これも歳をとったということなのか.

確かに歳をとることによって,
より美しい旋律を持つ曲に惹かれるようになっている.
心に負荷をかけて聴くことが
つらくなってきたのかもしれない.
しかし,誰でも最後はなにかしらの「美」を
求めるようになるのではないだろうか.

若い頃,あれほど不協和音に満ちた曲を
作っていたにもかかわらず,
最晩年はベートーベンの弦楽四重奏曲ばかりを
聴いていたというあのストラビンスキーのように.
(少し言い過ぎかな)

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