2010年11月30日火曜日

陳腐な歌詞に辟易とする

実は先週金曜日は,茨城県那珂市の
核融合研究所に行ったのだけれど,
その話はまた次の機会に.

そして昨日は研究室のイベントで,
嵐山に紅葉狩りにいったのだけれど,
これもまた次の機会に.
写真をUPできたら,記事書きます.

そして,仕事が遅れております.
ご迷惑をおかけしている皆様には,
もうしばらくお待ちをお願いいたします.



ということで,今日は他愛の無い話を.


最近,本当にヒット曲というものを聴かなくなった.
中高生の頃は,洋楽邦楽を問わず,
いろんな音楽を聴いていた.
松田聖子も,菊池桃子も,
ボンジョビも,バンヘーレンも,
そして,マイケルジャクソンも.

しかし,今はほとんど聴かない.
もちろん,良い音楽ならば聴きたいと思う.
けれども,現在は聴いた後に
時間の無駄だったとがっかりする音楽が
多すぎる.
これは,私の感性が時代から取り残されている
ばかりとはかぎるまい.

ちょっと前までは,車を運転するときには
FM局をよくつけていた.
最近のヒット曲がヘビロテで流れる.
それで良いときもあった.
しかし,今ではせっかくの時間なのだから,
良い音楽を聴きたいと思う.

そこで失敗が少ないのが,
まず,クラシック音楽.
これはいい.外れが少ない.
自然,聴く頻度が高くなる.

次に聴くのが,クラシックなロックやポップス.
70年代,80年代,90年代と
生き残ってきた音楽はやはりいい.
私が良く聴くFM局は,FM Cocoro.
45歳以上のリスナーを対象とした音楽局と
いうだけあって,古いヒット曲,名曲が多い.
しかし,古いと言っても,80,90年代の曲は
やっぱり良いし,ロックがロックらしかった時代の
曲は,安心する(笑)

あとは,私が好きなアーティストの曲.
佐野元春とか,スガシカオとか.
聴いていて,良い曲だと思う.
セールスが悪くても,彼らしか作れない曲を,
歌えない曲を,歌っている.
それがいい.

最近の曲でまずダメだと思うのは,
ポップスやロックであっても,
歌詞がまるで演歌のようだということ.
プロの作詞家の作品は,さすがに
そういうことは少ないのだけれど,
バンドとか,適当なシンガーソングライターだと,
陳腐な言葉の羅列に辟易とする.

例えば,
「夢」,「希望」,「愛」などの言葉に,
「永遠」,「はかない」,「明日」などの
お決まりのワードが続く.
これを,思い入れたっぷりに歌うのだから,
気持ち悪くなる.
なんて単純な言葉の羅列.

宇多田ヒカルもそうした歌詞が嫌いだと言っていた.
佐野元春も,スガシカオも.

もちろん,それが狙いの歌もあるだろう.
ウルフルズとか.

そして,昔で言えば,森高千里のセンス.
筋肉少女隊の大槻ケンヂが絶賛していたけれど,
なんというか,普通の言葉なのだけれど,
使い方が一風変わっていた.
そうした曲ならばいいと思う.

もしもこの記事を読んでいただいた人が
いたならば,少し注意して聴いて欲しいと思う.
なんと世の中に陳腐な歌詞があふれていることか,と
呆れることだろう.

陳腐な文章にも吐き気がするが,
陳腐な歌にも吐き気がする.
メロディーや編曲までも浅い曲なぞ
もうぐったりする.

と,いろいろ書いてきたけれど,
結局のところ,個人の趣味次第なのだから,
ご容赦を...
たぶん私がオジサンになったということで.

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