法事のときに聞いた説話その3(その2はこちら)
今回は他力本願と自力本願のちがいのお話。
猿が子猿を川の向こう岸に渡らせる際には,子猿は親猿にしがみついて渡る必要がある。親猿は川の向こうに子猿を渡してくれるけれども,子猿は親猿にしがみつく必要がある。すなわち悟りに至るには,なんらかの自分の努力(修行)が必要ということを表している。いわゆる自力本願である(普通の仏教)。
一方,猫が子猫を向こう岸に渡らせる場合には,親猫は子猫の首をくわえて運んでくれる。子猫は何もしない。これが他力本願ということになる。
親鸞はいくら自らが修行を積んでも,悟りには達するのは難しいと感じ,結局,阿弥陀様の本願によって救われるとの考えに至ったのだという。
『猫の信心」と「猿の信心」。自力本願と他力本願の特徴をよく表している例えだと思った。
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