私の家の宗派は浄土真宗なので,法事の際に説話がある。そのときに聞いた話のその1.
お坊さんが村に出かけ,帰宅途中に井戸の周りに村人たちが語らっていた。お坊さんはお水を一杯所望して,いただいたかわりに一つお話をした。そのお話である。
川で,自分の妻と母親が溺れてしまっているとする。さてどちらを助けるか?という問題。妻を助ければ,自分の母親に申し訳が立たない。一方,母親を助ければ,妻に申し訳が立たない。村人たちは意見を言い合うけれど答えは一向に出ない。そこでお坊さんは,「そんなことで迷っていては,ふたりとも溺れてしまうぞ!」と急かす。しかし,とうとう村人たちはどちらかを選ぶことはできなかった。そして村人たちはお坊さんに「どうしたらよかったのでしょうか」と尋ねたという。「そばで溺れている人から助ければ良い」とお坊さんは答えた。「妻」だ,「母親」だ,と肩書を気にしてそれにこだわるから答えがでない。そうしたこだわりを捨て,そばで溺れている人からすぐに助けに行けば,「妻」も「母親」も助けることができるだろう。ということなのである。
そうしたこだわり,先入観が煩悩ということであり,そうした煩悩を修行によってひとつひとつ消すことが悟りへの道である,というお話であった。
単純な話だが,いろいろと考えることは多い。
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