2022年11月5日土曜日

催眠術は倫理観を越えさせることができるか

 先日,新潟駅の前の通りで,全裸の男が捕まったというニュースを見た。ニュースによれば26歳のその男は裸足で,何も身に着けておらず,それでいてアルコールも検出されず,交差点の信号も守って堂々と歩いていたのだという。逮捕後,男は全裸で歩いていたことは認めているのだけれど,なぜ歩いていたかは思い出せない,と話しているということが非常に興味深い。この事件が私の想像力をそそる。彼がこうした行動に出た理由について考えてみたい。

1.彼は罰ゲームかなにかに理由で男は全裸で歩く必要があった。だからその理由については話せず,思い出せないと嘘をついている: 最も確率が高い理由として,「男はゲームで賭けをしたか,借金を抱えたりして,街を全裸で歩く必要があった。その詳細な理由については恥ずかしいので,覚えていないと供述している」ということが考えられると思う。このケースのポイントは,男が自分の意識や行動を意識して歩いていたということである。「思い出せない」というのは嘘ということである。これが最もまともな理由ではないかと思う。

2.夢遊病などの行動障害: 男は夢遊病などの行動障害の病気を抱えていて,今回の行動をしてしまったという理由も考えられる。しかしこの場合,交差点の信号を守り堂々と歩くなどということができるだろうか,と疑問に思う。男は夢の中(幻想の中)行動していたのだろうか。私はそうは思わない。当然,彼には行動中,そうした顕在意識はない。

3.催眠状態にあった: 私がこうだったら興味深いと考える理由は,男が催眠状態にあったというものである。男は何らかの理由で誰かに催眠をかけられていたのではないだろうか。そうであれば,記憶支配,思考操作されていたということになる。彼は,意識をもって行動していたことになるのだ。

催眠術というのは,術者と被術者との協力関係によって生まれ,被術者の催眠のかかりやすさの特性が催眠の深さに関係すると私は思っているのだけれど,もしも催眠術が理由であれば,この男はよほど催眠術にかかりやすかったのだろう。

繰り返すけれど,催眠術は術者と被術者との協力によって可能となる。だから,被術者が嫌だと思うような指示はできないとされている。例えば,殺人や自殺を行わせるような指示は与えることができないというものである。

しかし,私はそれは可能ではないかと考えている。「殺人」や「自殺」という倫理的に問題がある概念については,それを「陽」に指示すれば被術者は拒否反応を起こすだろう。しかし,人がチーズに見えるようにして,そこにナイフを刺して切り分けるという指示であればどうだろう。あるいは車が見えないように暗示をかけて歩行者天国だと思わせて交差点で踊らせる,などという「陰」に与える指示は可能ではないかと考えているのである。

今回の男も,なんらかの背景を与える暗示,たとえばヌーディストビーチで開放的な気分になるなどという,すなわち裸でいることが当たり前と思わされる思考操作をされていた可能性があると私は思うのである。この場合,誰が,なんのために,彼に催眠をかけたという非常に面白い謎が出てくるのだけれど。

催眠についてはあくまでも私の想像でしか無いのだけれど,こうしたことを考えるとき意識によって行動が支配される動物である人間というものは,非常にやっかいなものだと思うのである。肉体的な強制ではない,言葉によって与えられる催眠のようなものに支配されてしまうのだ。

明示的な催眠だけではない,この世はすべて催眠と暗示,そして洗脳でできているといっても過言ではないと思っている。そして,それらの精神的デトックスを行おうとすれば,その人の価値観が壊れ人格破壊に至る可能性だってあるほど,私達の精神に深く刻まれていると思うのだ。だからこそ,人間関係は複雑でつらく,そして面白いのだけれど。


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