2022年11月26日土曜日

「何度でも何度でも」ということの愚かさ

 Dreams come trueの歌で,「何度でも」という曲がある。

なんどでもなんどでもなんどでも立ち上がり呼ぶよ,君の名前,声が枯れるまで

というフレーズが耳に残る名曲である(と思う)。

しかし,この曲を聞くたびに,「同じことを何度も繰り返す」ことの愚かさを思う。もっといえば,「同じ過ちを何度も繰り返す」ことの愚かさを思う。これがわからない人(学生)がいる。繰り返すことによって,異なる結果が得られると思っているのだろうか。

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること

という言葉を知らないのだろうか(アインシュタインの言葉と言われているけれど,よくわからない)。私も全くこの言葉通りだと思っている。

線形時不変系の制御を考えればすぐに分かる。入力が同じであれば出力はいつも同じなのだ。出力を変えようと思ったら入力か,システム自体を変えなければならない。すなわち「やり方」を変えなければならないのだ。そんな自明な事実がわかっていない人(学生)がいる。それは過去の成功体験にでも引きずられているのだろうか。

実際は,世界の大体の物事は非線形時変システムなのだけれど,ある限られた時間で成果を出すために,対象,課題が変化して同じ入力で期待する出力を得ようとするのは,あまりにも非効率的すぎる,いや不可能である。まずは自分が変わり,入力を変えることが必要だ。人間関係でも,相手が変わることを期待してはいつまで経っても良い結果は得られない。自分が相手に対する態度を変えることが肝要である。

では,最初のドリカムの歌詞は愚かなのだろうか。。。その通り。しかしその愚かな繰り返しをしなければならないほど,相手をあきらめられないということなのだろう。

1万回ダメで望みなくなっても1万1回めは来る

そして恋愛は,非線形時変システムということなのだろう。

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