法事の際に伺った説話のその2(その1はこちら)。
私たちはどうしても我に捕らわれてしまう。
あるとき,バスに乗っていたらおばあさんが乗車してきた。そこで自分はおばあさんに席を譲ってあげ,おばあさんは譲られた席に座った。その後,そのおばあさんは自分に礼も言わずバスを降りていったという。このとき自分は,「せっかく席を譲ってあげたのに,礼もなしか」と腹を立てないだろうか。自分は善い行いをしたのだとどこかで我が増大していないだろうか。
たとえおばあさんが礼を言わなくとも,「おばあさんのお陰で自分は善行をさせていただいた。どうもありがとう」と思うことができたらどんなに素晴らしいだろう。
教育の現場で腹を立ててばかりいる私には耳が痛い話である。
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