2024年8月3日土曜日

長岡の祭りに日本人の血を思う

 8/1-8/3に開催される長岡まつりは,8/2, 8/3が大花火大会で,8/1は平和祭として民謡流しなどが行われる。私は8/1の祭りをまだ見たことがなかったので,夜に長岡の街に散歩に出かけた。

出かけた時間が21:00少し前と少し遅かったので,民謡流しを見ることができなかった(民謡流しは20:15開始?)。しかし,駅前の大手通りは通行止めとなっていて,そこでは神輿が数基担がれていて,掛け声と生のお囃子(笛と太鼓)によって大いに盛り上がっていた。どうも地元のいくつかの「青年会」がそれぞれ神輿を出しているらしい。

5~6基の神輿が活気ある掛け声とともに担がれ上下している。中には女性だけで担がれている神輿や,神輿の上に女性が立って団扇で掛け声をかけている神輿などもあって,いろいろな神輿を楽しむことにできた。

一方,通りをもう少し奥まで進むと,和太鼓の音が聞こえてきた。こちらもいくつかの地元の団体があるようで,各団体の和太鼓の演奏がされていた。「悠久太鼓」など地元の曲もあるらしく,大中小の太鼓によって演奏される勇壮な曲にはこちらの心拍数も上がった。

神輿と太鼓。あぁ,日本の祭りなのだなぁと感じ入っていたのだけれど,これは日本人特有の感情なのかと考えた。神輿は本来「ご神体」を神輿に移して街を練り歩くものであるけれど,神様が本当に乗っていらっしゃるかどうかは別にして,担ぎ上げる神輿は祭りに参加している人の心を一つにするためのシンボルである。「神輿を担ぐ」という行為がどれだけ重要なのか,よくわかった。仕事においても誰かを代表にして「神輿を担ぐ」必要がしばしばあるけれど,人々の心をひとつにするためには,そのシンボルが必要なのだと思った。

和太鼓も数多くの太鼓が拍子を乱さずに演奏されるのをみていると,どんどん心が引き込まれるのを感じる。太鼓のリズムと音圧は人をトランスの状態に導くのに大変有効なようである。たぶん,神輿のお囃子,太鼓,そして神輿の掛け声は人々をトランスに導くためのツールとしてとても優秀で,それは太古の昔より日本で祭祀が行われるようになってからずっと洗練されてきた技法(やり方)なのだろう。そして,こうして祭りでトランス状態になり,ストレスを発散することが社会の治安や維持のために昔から不可欠だったのだろうと考える。まぁ,度が過ぎても「ええじゃないか」騒動のように踊乱し社会不安につながるのだけど。

古来,日本においては社会の安定維持のため祭りが果たしてきた役割というのは,思うより小さくないのかもしれない。祭りを見ていて,星野之宣のSFマンガ「ヤマタイカ」を思い出した。祭りで狂乱する遺伝子は日本人の血脈に深く刻まれているのだろう。

神輿は遠くに写っています

#「神が先か,儀式が先か」というテーマで記事を書きたいとずっと思っているのだけれど,なかなかその機会がない。近いうちに。

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