2025年12月31日水曜日

「武術極意の本当の話。」が面白かった(2)

前記事の続き。

著者の近藤孝洋氏は,私が高校に入って武道を始めた頃から私にとっては気になる武術家で,当時はもっぱら太極拳の修行者であると認識していた(知る人は少なかったけれど。しかし,1980年代終わりごろには,「原説・太極拳」を出版している。こちらもかなり難解な内容である)。

しかし,私が驚いたのは,彼が動画で話しているところによれば,彼はあの伝説の書籍「鉄砂掌: 中国拳法・秘伝必殺」の著者である武術家・龍清剛の流れを汲む流派で中国武術を学んでいたということである(その他にも日本の武術も学んでいるとのことだけれど,師匠の名前はあいまいにしている)。それは過酷な修行であったと思われる。彼が若い頃に太極拳(陳家)の演武をしている動画も見たことがある。かっちりとした技をする人だと思ったことを覚えている。

本書で彼は,カルロス・カスタネダやインドの行者の言葉も引いていて,そうした観点から武術の極意を理解しようとされている姿勢も尊敬できる。近藤氏の考えでは,武術の極意をつかむには,武術の師匠だけでは十分でなく,霊性の師が必要だという。例えば,柳生には沢庵和尚,針ヶ谷夕雲には虎白和尚,山岡鉄舟には滴水禅師,植芝盛平先生には出口王仁三郎,藤平光一先生には中村天風先生,といった具合である。ある程度の境地に達したあとは,そうした精神的な指導者が必要なのかもしれない。

とはいえ,私はまだまだ自分の心のコントロールでさえもまともにできない,低次元のレベルでとどまっている修行者なのである。本書で解説されているレベルには到底届かない。こうした武芸書を読むと自分の未熟さがほとほと嫌になるのと同時に,武道というたいへんな人類の至宝とも呼べる文化に触れているということの幸運を感じる。

2025年12月30日火曜日

「武術極意の本当の話。」が面白かった(1)

最近,まったく本が読めていない。そんな余裕がない。しかし,本を読まない人生なんて,なんてつまらないものだろう,と私は思っているから,今年の自分を反省して,来年はぜひ小説を読みたいと思っている。

そんな中,少しずつ読み進めてきた本が, 

「武術極意の本当の話。: 古流剣術・古流柔術・古伝中国拳法の秘術の探究」近藤 孝洋 著

である。残念ながら小説ではなく,武術の解説本である。実は,購入したのはたぶん10年以上前で,その時以来,目を通すのは2回目である。

内容は,まず上泉伊勢守の新陰流の「転」から始まって,その弟子の小笠原玄信の奥義であるあの有名な「八寸の延び金」,そして,「無住心剣術夕雲流」の伝書「辞足為経法 中集」に言及し,その後,柳生十兵衛「月之抄」と柔術の「良移心当流」「起倒流」を解説し,最後には王宗岳の 「太極拳論」の解説で締めくくっている。

これは普通に読めばいわゆる「トンデモ本」の類なのだけれど(人間にはエネルギー体があるとか,マッハを超えるスピードを出すとか),著者の近藤孝洋 氏の見解が述べられていて,私にはとても興味深かった。前回読んだときにはわからなかった(想像できなかった)ことが,今回少しわかるような気がして,たいへんタメになる。近藤氏の表現はなかなか特殊だけれど,そこには一抹の真理があるように思われて,いろいろな見解があるものだな,と勉強になったし,ひとりの武芸者が現在たどりついた境地とはこのようなものかと感じ入った。もちろん,私などは到底及びもしない内容であり,境地なのだけれど(記事続く)。


2025年12月29日月曜日

私の冗談に学生は誰一人笑わなかった

 年をとると,くだらない冗談やダジャレをついつい口にしてしまうのも加齢のせいらしい。もう恥をかくことを避けようとする心,つまり羞恥心の働きが鈍ってしまうからとのことである。私も立派な老人ということになるだろう。

講義では,ときどき冗談や雑談をいうことにしている。講義内容はかたい話ばかりだけれど,雑談を交えることによって,学生の記憶が定着しやすくなると思っているからである(ときどき,雑談の方だけを覚えていて,肝心な内容を忘れている学生もいるけれど)。

今年,講義の中で言ったダジャレで記憶に残っているものを2つ紹介したい(この時点で私の羞恥心は働いていないことがわかる)。

1.電力の講義。三相変圧器の結線(巻線の接続法)の解説をしていた。Y結線,Δ結線と説明して,「まぁ,結線の講義は金曜日」と言ったのだけれど(電力の講義は金曜日。もちろんドリカムの「決戦は金曜日」という名曲を頭においてのダジャレ),聴講していた学生は誰一人笑わなかった。誰一人眉ひとつ動かさなかった。その日,心が折れた。(あとで調べると,聴講している学生は大学2年生で20歳そこそこ。「決戦は金曜日」の発売は1992年,彼らが生まれる前のヒット曲だった。仕方ない...)

2.これまた別の電力の講義。発電所の主力機器である同期発電機の解説。発電機の冷却には水素ガスが使われている*と説明したときに,「水素で,界磁巻線はキンキンに冷えている。カイジだけに」と言ってみた。数秒遅れて,学生たちの冷たい笑いが表情に浮かんだ。その日も心が折れた。(一応,カイジの名言は学生たちも知っていたらしい)

と,まぁ,やっぱりクオリティが低かった。。。

昔,日本原子力研究所に入所した際,新人研修で理事の話を聞いた。そのとき,「宮本武蔵は実は東京の小金井市出身」との”フリ”が講話の最初に入り,話の最後に「ところで武蔵はお通さんとの間に子供はあったのかな?」と後輩が尋ねてきて,理事が「いや,いなかっただろう。なぜって出身が「武蔵小金井(武蔵,子がいない)」だから」と答えたというオチで締めくくったのをよく覚えている。彼はその洒落を「駄ジャレ」ではなく,「秀ジャレ」と呼んでいた。このとき,私はそのオチに大笑いしたのだけれど,周囲の同期は誰一人笑わなかった。私は気を遣ってそのシャレに対して大笑いした,と思われたから,その理事の話が終わった後に,同期から「三浦は将来出世するよ」と言われたものである。でも私が大笑いしてしまったのは,愛想笑いでもなんでもなく,官僚から天下ってきたその理事が,そんなくだらない洒落をいって,なおかつ,秀ジャレと称していること自体が滑稽だったからである。(彼がそれを最初から狙っていたとしたら,相当な手練れである)

しかし,私が今年話した冗談も,彼が話した「秀ジャレ」レベルであると反省。

来年はもっと面白い「秀ジャレ」を思いつきたいものである。

*水素ガスが空気の代わりに使われている理由にはいくつかあるけれど,1. 比熱が空気よりもずっと高い,2. 熱伝導率も空気よりも良い,3. 空気よりも密度が低く,回転子の風損がずっと少ない,4. 不活性ガスなので絶縁物の劣化を抑えられる,5. 放電開始電圧が高い,などの特徴から冷却効率が高く,装置の小型化を望めるからである。

2025年12月27日土曜日

みすぼらしい老人の悲しみ

 年をとって悲しく思うのは,特に飲食店などにおいて邪魔者扱いされることである。もしかすると多くはそうではないかもしれないけれど,一部ではやはりそのように感じてしまうのである。

たとえばファミレス。まだ混む時間ではなく空いている席も多いのに,通されるのはやはり人目につかない店の奥の二人用の席ばかり。空いているのであれば,景色が良くて荷物もゆったりとおける窓際の四人用のボックス席に座りたい。しかし,私のような老人は,街ゆく人たちから見えないように人目を避ける席に案内されることが多い。若い女性であれば,窓側に優先的に案内される。まぁ,店の戦略として理解できるけれども,案内される方としてはやっぱり悲しい。

私がこのブログを書いているよく訪れるコーヒー店では店員さんはやさしいし,席も自分で決めることができるから,人目を避けるような場所にいつも座るということはないけれど(もちろん,いつも1~2名席に座ってお店に迷惑をかけないようにしているつもり),一方で客として来ているカップルの目が厳しいような気がする。特に男性側の目が怖い。確かにこのお店はデートで来るのに選ばれるようなお洒落な雰囲気だけれど,私のようにユニクロを着たダサいカッコをした老人が客でいたとしても,もう少し温かい目で見てはもらえないだろうか,と思う。若い二人にとっては,私などは「お目汚し」だというのもわからないでもないけれど。。。

もしかすると,おしゃれな老人であれば周囲の人ももっと優しくしてくれるのかもしれないとも思う。だが私にはそれはなかなかハードルが高い。。。これからも,おしゃれなお店では陽の当たらぬ席に生える雑草として生きていくことになりそうだ。。。

2025年12月24日水曜日

クリスマス・イブはもう聞いてしまった

 クリスマス・イブである。

毎年,この時期は自分の心の中で賭けをしている。それは,「山下達郎の「クリスマス・イブ」を聴かずに,クリスマスを迎えることができるか」というチャレンジである。

昨年は,なんとこのチャレンジを成功させている。われながら奇跡的!と思ったものである。

しかし,今年は11月末にはすでに聞いてしまっていた。それは,車中でNHKラジオの能楽師 野村萬斎がパーソナリティを務める番組を聴いていたときのこと,番組の終了時に「クリスマス・イブ」が流れてきたのである。

「やられた!」

不意打ちだった。野村萬斎の番組でヤマタツとは。。。そりやぁないよ!

ということで今年のチャレンジは早々に失敗に終わってしまった。ばかばかしいチャレンジだけれど,来年また挑戦しよう。

2025年12月21日日曜日

チャカとダンビラ,どちらが強い?

 最近アメリカやオーストラリアでは銃によって無関係の人たちが襲われるような悲惨な事件が起きているが,日本でも銃ではないが刃物によって人を害する事件が連続して発生し,大きく報道に取り上げられている。

一般的には刃物よりも銃の方が強い(いろいろな意味を含む)と思われているが,実際にそうだろうか。私は数メートルの距離からの攻撃であれば,刃物の方がずっと怖いと思う。

数メートル程度離れたところから,刃物を持った人に突然襲われるとする。もしも私が銃を持っていてそれに対抗しようとするならば,私は攻撃を認識したらホルスターから銃を抜いて安全装置を外し,照準を合わせながら引き金を引かなければならないだろう。この動作に要する時間が,とても刃物を使った攻撃に間に合うとは思えないのである。

例えば,刃物が小刀であったとする。もちろん,相手は小刀を鞘から抜いてから近づいてきて切りつけるなんて攻撃はしない。何気ない顔をして私に近づいてきて,間合いに入った瞬間,隠し持っていた鞘から小刀を抜きつけて急所を斬るのである。とても対応できる自信はない。

Youtubeなどを見ても,5~6 m程度の距離であれば,最初から相手が銃を構えている状態でなければ,ナイフで警官などが暴漢に切りつけられてしまう動画などがあげられている。それを見ると私は震えあがってしまう。

「チャカとダンビラ,どっちが強いと思う?」とやくざが尋ねる映画があったと思うが,やはり刃物の方が近距離においては有利なのではないかと思う。

2025年12月20日土曜日

夢を買う

 私には夢がない。夢を探し続けてもう何年になるのだろう。しかし,いまだ人に話せるような夢はまだない。

ここでいう「夢」とは,将来の夢であって,睡眠中に見る夢を指しているのではないけれど,最近は年齢のせいか,夜に見た夢も朝には忘れているようになっていて,そちらの方の「夢」もなかなか話せるものがない。

睡眠中に見る夢には,吉夢も悪夢もあるし,その中には正夢となるものもあると言われている。吉夢には,一富士,二鷹,三なすびと初夢でよく言われる縁起の良いものがよく知られていて,その他にも金運があがるといわれる蛇や龍の夢,偉人が生まれる吉兆となる星がお腹の中に入る夢などがある。

そうした夢の意味を読み解こうとするものが夢占いということになるわけで,夢占いの本やWebサイトは多くあるのだけれど,私は夢占い師に出会ったことがない。古代より,夢の意味を読み解く夢占い師は重用されたようであるけれど,現代では「夢を読み解きます」というだけでは,占いで生計を立てるのは難しいのだろう。

こうした夢が意味をもつ,という話でよく言われるのは,人に夢を語ってはいけないということである。どうも昔は,「夢」というものも売り買いできるモノのように扱われていたらしい。鎌倉時代に書かれた宇治拾遺物語にも夢を買う話が出てくる。

吉備真備が若い頃,夢占い師のところに行ったところ先客の若者がいて,その若者の夢が立身出世をする縁起の良いものだった。吉備真備は若者が占い師に話しているのを耳にして,若者が意気揚々と帰って行ったあとに,占い師を説得してその夢を買うのである。その結果,吉備真備は後年右大臣まで出世したのである。一方,夢を知らないうちに買われてしまったその若者はうだつのあがらない人生を送ったのだという。。。

よい夢は他人に語らない方が良い,ということを示す話である。夢を売り買いする話はどうも東北地方によく残っているらしく,新潟でもそうした民話が採集されたらしい。諸星大二郎の作品にも夢を買うということが出てくるものがあったと記憶している。

夢のない私も同様に誰かの夢を買いたいところであるけれど,資金がない。。。やはり自分で良い夢を見ることが大切なのだろうけれど,吉夢をみようにもそもそも夢自体を見なくなってしまったのだから,本当に寂しい人生である。

慈眼温容(1)

 私が一番にご恩を受けている合氣道のO先生のお話。 O先生はたいへんご自分に厳しく,自己を律していらっしゃった。しかし,あるときに藤平光一先生が, 「O君は,”春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む”ではなく,人に接するときも秋霜を以てしているね」 とおっしゃられたそうである。ま...