2008年1月30日水曜日

追い出し稽古という通過儀礼

先日,私の武道の先生よりお葉書をいただいた.
(大学時代からとなるから,なんと22年も
ご指導いただいている先生なのである)
私が所属していた大学の合氣道部で,
恒例の「追い出し稽古」を無事終了できた,
と書かれてあった.
今年は女子部員2名だったのだという.
大丈夫だったのかと心配しつつ,
少し,私がこの稽古をした際のことを思い出した.

「追い出し稽古」とは,
4年生が部の現役を卒業するのを,
現役とOBが集まって祝福するための稽古である.

祝福といっても,実は一年の中で
最も過酷な荒稽古なのである.
現役部員とOBが集まるとおよそ40~50名となる.
まず4年生が数人道場に散らばって立つ.
あとは45分間,ひたすらでかかってくる現役とOBを
正面打ち呼吸投げという技で投げ続けるのである.

一種類の技,それも正面打ちというところがミソである.
相手の打ちを正面から受けてしまうと,
腰が砕けるほどの衝撃を受ける.
あるいは吹き飛ばされる.
逃げ場がない.

そしてこの稽古のときばかりは
現役よりもOBの数の方がずっと多い.
OBの打ち込みは容赦がない.
相手が一発で吹き飛ばされる.
あるいは畳の上につぶされる.

4年生の腕はすぐに丸太のように内出血で膨れ上がり,
目も腫れ,鼻血や口からの出血は当たり前.
途中で足がつったり,倒れたりする者も出る.

倒れるとOBがやってきて,立たせて
また輪の中に押し込む.
すぐにまた誰かが打ち込んでいく.
こうして45分が過ぎさったときには,
見るも無残な状態となって倒れ込んだ
4年生が道場に転がることになる.

私も関東に住んでいたころは,
毎年のように参加させていただいた.
まぁ,私の場合はこちらの体力がもたないので,
4年生ひとりにつき3~4回くらいしか
打ち込んでいなかったけれど.

こうして無事,追い出し稽古を終えた4年生は
晴れてOBと認められるのである.
合氣道部は4年生の5月に幹部を交代する.
それ以降はやはり研究が忙しくなって
稽古量が格段に減少する.
(まぁ,私は9年間,あまり稽古量は
変わらなかったのだけれど)
そうした休止期間を経て,1月にいきなり
この荒稽古である.
本当にしんどい.

でもだからこそ価値がある.
こうした荒稽古や猛練習を卒業時に行うという
武道系やスポーツの部はたくさんある.
それはこうした荒稽古が新しい人生への
通過儀礼として重要な意味を持つからである.
過酷な試練をそれを乗り越えることで,
自分がOBと呼ばれるにふさわしいと認めてもらう.
いや,自分で自分をそう認識できる.
そのための儀式なのだ.
自分に新しい価値を認めるためには
それにふさわしい試練がなければならない.


ちなみに私の場合は,稽古終了時には
右目がお岩さんのように腫れあがり,
腕は真っ赤に膨れ上がっていて
机の上に手を置くこともままならなかった.
その後の追い出しコンパにおいて飲んだ酒に
全然味を感じなかったのを覚えている.
そして翌日.
実はある企業の修士課程における奨学金の面接があった.
ぼろぼろの顔で会場に向かったことを覚えている.
電車に乗るのもつらかった.
しかしその顔だったからこそ,
審査員に覚えてもらったのかもしれないと,
今では思う.

0 件のコメント:

コメントを投稿

言葉が世界を単純化することの副作用

 人間がこれだけの文明を持つに至った理由のひとつは「言葉」を用いることであることは間違いないと思う。「言葉」があれば正確なコミュニケーションができるし、それを表す文字があれば知識を記録として残すことも可能である。また言葉を使えば現実世界には存在しない抽象的な概念(たとえば「民主主...