2008年1月7日月曜日

読書のコツ - 偏らずに読む

今年は多くの本を読もうと思う.
とにかく質より量だ.
どれだけの本を読めるか.
専門書も小説も.
40歳の今年,どこまでできるかトライアルである.

読書に関して最近思ったことをひとつ.
あるテーマについて知りたいと思い本を読むことにする.
このときに,ただ1冊だけを読んで
テーマを把握したと思うのは危うい.
3冊程度読むことをお勧めする.

だいたいにおいて本は著者の
希望的な意見が含まれているものである.
まぁ,それがそれぞれの本の個性となって,
いくつもの本が出ることになるのだから,
それはそれで大切なことではある.

しかし,そこに書かれていることが
すべて正しいとは限らないのだ.
今の風潮は,本に書いてあるから正しいのだと,
容易に受け入れてしまうような気がする.
しかし,それでは危うい.
他の意見を求めて,本を複数読むことをお勧めする.
それでぐっと偏った意見に染まるリスクは低くなる.

教科書でさえ疑うべきである.
教科書も何種類か読むとわかるが,
それぞれにおいて,
重点を置いている範囲が異なるものである.
比較してみると面白い.
(教科書だったら図書館にいけば,
同様のテーマについて書かれたものが山ほど見つかる)
複数の教科書を読んでいくうちに,
繰り返し重要だと記述されている項目に気づく.
その項目こそ重要点であると判断しても
そう間違いはないだろう.
一方,教科書によっては
全く触れられない項目もあったりする.
なぜそうなのか,そのウラを探るのも良い勉強になる.

理工系の教科書でさえこうなのである.
一般のテーマについて書かれたものであれば,
その相違点はさらに明らかになるだろう.
だからこそ同テーマ,異著者の本を
複数冊読む必要が大きくなる.

実はこれは本だけに限らない.
テレビ,新聞,雑誌.
こうしたメディアに載っている情報は,
意識的,あるいは無意識的に加工されていることに
注意する必要がある.

新聞にある事柄について
二人の専門家の意見が掲載されていた.
それは同等のスペースを有した記事となっており,
新聞はなるほど公平性を尊重しているように見える.

だがしかし,その専門家のコミュニティにおいては
一方の意見がその大半を占め,
他方が少数で異端である可能性もあるのだ.
少数意見を尊重して耳を貸すべきだという意見もあるだろう.
基本的には私もそうした考えを持っている.

学会において,特に理工系の学会において
常識とされていることについて,
見当違いな根拠によって反対意見を述べている場合もあるのだ.
実際,そうした意見が新聞に取り上げられることも多い.
だが,それは「おかしい」意見であったりする.

新聞において,そうしたおかしな意見が,
常識的な意見と同等のスペースをもって紹介された場合には,
ときにやっかいな問題が起こる.
専門家ではない人たちが,
その新聞の異端の意見をもって良しとするのだ.
だいたい,そうした考えは,
人々や社会に媚びを売っているようなものが多いので,
人気が出やすいのだ.

新聞では,その意見の多数・少数については
述べられることが少ない.
だから読者は勝手に50%-50%のような勘違いをしてしまう.
新聞としては,対立する意見を掲載して,
自分が公平性を保っているようなイメージを得る.
そして紙面も面白くなる.

しかし,これは実はかなり問題なのである.
(以前,これで本当に困った経験がある)

つまりは,本も含むメディアによって運ばれる情報は,
加工されていることを忘れてはいけないのだと思う.
もちろん,そうしたメディアを通さなければ,
入手できない情報がほとんどであるから,
それに頼らざるを得ない.
しかし,それは玉石混合,公正さを欠く情報であったりする.
結局のところ,私たちはなるべく多くのソースから情報を得て,
自分たちで判断しなければならない.
私たちが賢くならなければならないのだ.

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