2008年1月10日木曜日

敬語は心を伝えるための文法

以前,学生の意見を述べる機会において,
男子学生が「俺は...」と話しだしたのをみて
驚いたことがある.
私の世代においては,当然「私は」であり,
「僕は」ということさえも憚られたものである.

彼は率直な意見を述べたから,
それはそれで素晴らしかったのだが,
社会的にはそれでは今後困難にあうだろうと思った.

敬語は礼儀作法の基本であり,
やはり少しは気を使ってほしいと思う.

礼儀というものは,古い因習としてやり玉にあがることが多い.
しかし,もともとは相手を思いやって行うことである.
最近は,心なくして礼儀にのっとっただけの振る舞いも多いけれど,
本来は,相手を思いやる心を伝えるための作法である.

敬語はその基本中の基本といえるだろう.
日常で私たちが触れる機会が最も多い礼儀といえるだろう.
敬語が時代とともに変遷していくのは当然のことと思うが,
その重要性は昔とあまり変わらないのではないかと思う.
そして,形は変わりつつはあるけれど,
敬語も,礼儀作法における「型」なのである.

礼儀作法において,古くから伝わる「型」というのは,
もともと,相手を思いやる心を間違いなく伝えるために
作られたものなのである.

いくら相手を思いやる心があっても,
それが相手に伝わらないとしたら,
あるいは間違って伝わってしまったら,
それは無駄どころか相手にとって失礼になってしまう.
もともとの意図とは全く逆の結果を生んでしまう.

そういう場合は,とりあえず「型」に従えば,
まずは失敗が少なくなる.
それで足りないと思う場合には,
自分でさらに工夫すればよいのだ.
(この工夫具合が難しいのだけれど)

礼儀作法における失敗は,相手との信頼関係の危機を招く.
まして初対面の相手においては,なおさらである.
こうしたときに「型」が用意されていると便利なのである.

以前,このブログにおいても書いたけれど,
礼儀というのは自分を守るためのものなのである.
武士の時代,礼を失することは,
名誉を失することに通じ,非常に恥とされた.
そしてときには,自分の命,
あるいは家名の問題となった.
そうした問題も,とりあえず「型」を踏襲することによって
防げたのである.

逆に「型」なくして,自分の思いをちゃんと伝えることは
実は難しいのではないか.
礼儀作法とは,こういう所作をしたならば,
相手はこういう思いを伝えようとしていますよ,という
共通認識,約束事,いわゆる文法なのである.
その文法を誤ったら,誤解を招くのは仕方がない.

正しい文法にのっとって,自分の気持ちを伝えていく.
敬語はそのための実は非常に便利なツールなのである.

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