2009年11月18日水曜日

「電氣」が「ファンタジー」だったころ

技術がある程度普及してしまうと,
世の中の注目は薄らぎ,
学生たちのその分野に対する人気は
あっという間に下がってしまうらしい.

携帯電話がその一例である.
携帯電話が華々しく登場してきたとき,
学生の通信工学への人気は
大変高かった.
しかし,携帯電話なんて0円で購入できる
現在,通信工学の人気はずいぶんと
下がってしまった.
10年ひと昔である.

電気工学だって同様である.
現在では,どの家庭においても
コンセントにプラグをつなげば
電気は当たり前のように使えるから,
当然,電気への関心は薄く,
電気工学の人気は低いままである.
しかし,電気工学が世の華だった時代も
確かにあったのである.

「電気ブラン」というお酒をご存じだろうか.
不思議な味のするリキュールである.
(カクテルなのだろうけれど,
その処方はいまだ秘伝らしい)

名前が名前だけに,関東にいた頃は,
私も面白がって飲んでいた.
茨城県の牛久に牛久シャトーという
ワイナリーなのか,ビール醸造所なのか,
そうした城(笑)があって,
そこで売られていたので,遊びに行くたびに
(屋外でジンギスカンが楽しめる)
何本か(おみやげも含めて)購入していたものである.
(結構安かった気がする)

アルコール度数は30度と40度のものがあり,
かなり強いお酒である.
口当たりは甘めだけれど,飲んだ後に
鼻腔にアルコール独特の香りが広がる.
このお酒は明治の頃から売られているとのことだけれど,
当時は舌がしびれるから,「電氣」と名がついたなどと
まことしやかに噂されたらしい.

実際は,「電氣」というのは,その当時の流行りに
したがって名がついたもので,強いて言うならば
「ファンタジー」という意味とのことらしい.
「電気」といえば,その当時は「夢の」という
意味があったらしいのである.
電気工学が花形だった時代なのだろう.
そんなときもあったのである.

私が電気ブランを初めて飲んだのは,
大学1年か2年の暑い夏.
隅田川花火大会の日だった.
(もう20年以上も前の話か...)

女子も含めたグループで花火見物を
するということになって,
男子は隅田川付近で朝から場所取りをしていた.
陽射しがずいぶん強かったのを覚えている.

途中,交代ということで,私とN山君は
休憩をすることになった.
そこで,N山君は,「神谷バーに行こう」と言い出した.
私は全くそれがどんなバーなのか知らなかったが,
彼の説明によれば,明治時代からある
日本でも最古のバーのひとつであり,
(といってもレストランみたい)
落語にも出てくる有名店らしい.
(どの落語か未確認)
住所も,浅草1-1-1.
いかにも由緒ただしそうである.

昼間っからバーというのも洒落ていると思い,
連れだって入店する.
名物は「電気ブラン」だというので迷わず注文した.
冷え切ったグラスに冷たい電気ブランが入って
出されてきた.
氷水がチェイサーとしてついてくる.
一口飲んで,正直美味しいとは思わなかった.
どこか薬臭いし,なによりもアルコールが強すぎる.
しかし,N山君の手前,まずいとも言えないから,
チェイサーの助けを借りてぐっと飲み干した.
あとはあんまり覚えていない.

その後,また直射日光の下,場所取りをしていた
はずなのだけれど,半分脱水状態だったのではないだろうか.
記憶ははっきりとしない.
ただ,ずいぶんと身体がしんどかったのはよく覚えている.
まぁ,その辛さも,夕方になって駆け付けた
浴衣姿の女子たちとお手製のお弁当によって
あっという間に吹き飛んだのだけれど(笑)

「電気ブラン」と聞くと,この花火大会の真夏の日が思い出される.
その甘い思い出を味わうために,
私は何度も電気ブランを買い求めているのかもしれない.
私にとっては今も「電氣」は「ファンタジー」なのである(笑).

#ちなみに,前の職場につとめていた頃,
電気ブランを研修に来た何人かの学生に
飲ませましたが,一様に不評でした.
しかし,電気工学を志す学生のみなさんには
ぜひトライしてみていただきたい一品です.

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