2010年9月18日土曜日

日本の学生が危ない

ECCE2010に参加して改めて危機感を感じた.
パワーエレクトロニクスの主要な
国際会議ということで,
世界各国の研究者が成果を報告するのだけれど,
発表者には,学生も少なくない.
世界各国の(まぁ,アメリカの大学が中心だけれど)
博士課程の学生が自信を持って発表しているのだ.

彼らを見て思った.
一体,日本の学生は彼らに太刀打ちできるのかと.

正直,残念ながら彼らには見劣りがする
学生が多い.
もともとの貪欲さが違う.
彼らは自分のスキルアップ,キャリアアップに
とにかく熱心である.

彼らはなんのために研究しているのか.
それはもちろん,世界のためでもあるけれど,
自分の能力の向上,経歴の積み重ねのためでもある.
だから彼らは研究に貪欲なのだ.

翻って,日本の学生は何のために
研究(卒業研究,修士論文の研究)をしているのか.
それは,卒業するためである.
大学を卒業したという称号,学士,修士を
得るためである.

だから,研究に最短の道を求める.
はっきりと言えば,研究成果がどうなろうと
関係がないのである.
楽して卒業ができるのであれば,
それが一番有難いと考えている学生が
多いような気がする.
簡単に卒業できるテーマが
一番彼らが欲しいものなのである.

しかし,こうした国際会議の場に来てみると,
そんなのは,全くのアマちゃんの考えだとわかる.
日本の狭い国内だけで,自分の保身が図れる
なんてことはこれからの将来,
とても甘い考えだとわからないのだろうか.

海外から採用をする企業が増えているのも
仕方がない.
海外の学生の方が優秀なのだから.

同じ仕事であれば,安くて優秀な労働力,
すなわち,アジアを中心とした新興国に
仕事が流れていくに決まっているのだ.
まして単調な仕事,誰にでも出来る仕事など,
日本から無くなってしまうに決まっているのだ.

では,そうではない仕事.
クリエイティブで,複雑な仕事.
それらを任せられるだけの実力を
日本の学生が身につけているだろうか.
そうした不確定な将来を認識して,
危機感を持って,学業を行っているだろうか.
残念ながら,とてもそんなふうには思えない.

もちろん,社会のせいもある.
今の異常な就職活動の状況では,
自分の能力をしっかりと伸ばしていこうという
学生がバカをみるようなことになってしまう.
なんという日本の損失...

日本では新卒の学生しか受け入れられず,
海外では優秀な人材(学生に限らない)を
積極的に採用している企業にも
責任はあるだろう.

しかし,国際会議に来て,改めて凹んだ.
海外の優秀な学生に対抗できる人材を
育てていけるだろうか.
社会状況は厳しい.
でも,なんとか,そうした教育をしていきたい.

たまにはそんな殊勝なことも思ったのである.

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