2024年1月13日土曜日

魅力ある歌を歌いたい

 私はカラオケが嫌いとか苦手とかではないのだけれど,人前で披露するようなうまさではないので積極的にカラオケを歌うことは少ない。「歌うのは女の人がいるときだけだ」などと言ってマイクから逃げることが多いので,カラオケを歌うのは一年に一度あるかないかである(ちなみに2023年は一度も歌わなかったと思う)。ただし,歌うことは好きなのである。

最近は,歌が上手な人が増えたと本当に思う。私が学生のころはカラオケボックスもあったけれど,カラオケスナックなどにいくとステージ上でみんなの前で歌を歌うという文化がまだあって,他人の歌をよく耳にしていた。その頃は今みたいにみんながみんな歌がうまいというわけではなかった。下手な歌を自分の好きなように歌う人が多くて,うまさを競うというよりも自分が気持ちよくなることが目的だった。

それがカラオケボックスで歌唱に対して点数がでるのが当たり前になって,そして流行する歌も歌うのがたいへん難しい曲ばかりになって(あるいは歌よりもパフォーマンスが優先されるようになって),それにあわせて歌がうまくないと人前で披露しづらい雰囲気になってしまった。これが本当によいことなのだろうかと私は思っている。

多くの歌手の歌唱力も昔とは比べものにならないほどレベルが上がっていることは間違いないのだけれど,私の個人的な感想ではみんな同じような歌い方になっているように思える。言葉を代えると,カラオケでうまいとされるような歌い方ばかりになっているように思う。カラオケの採点ではさぞかし良い点が出るだろうけれど,聴いている私としては「私はうまいだろう」と自慢する感じで歌を聞かされているような気がして,そして結局心に残らないような,そんな印象が強くある。

昭和や平成の初期はこんな感じではなかった。紅白歌合戦でも見た寺尾聰の「ルビーの指環」とかニューミュージックの人たちとか,歌唱力を競うというよりも,その歌い方の魅力で主張していたように思う。歌がうまいといっても,尾崎紀世彦や布施明,松崎しげるのように個性的なうまさだった。しかし,今は画一的な感じがして,魅力ある歌い方のアーティストが減っているような気がするのだ。

私は歌が下手なので,この魅力ある歌い方というのに憧れる。たとえば,原田芳雄とか藤竜也とか。ショーケン,水谷豊,松田優作,石橋凌なんてところもいいなぁ。結局,歌手というよりも俳優と言った人たちの方が心にずっと残る歌を歌っている。

ということで,私のカラオケはそっち方向を目指しています。なので点数が低いのです。という言い訳を書きたくてこのブログ記事を書きました笑。

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