2024年2月11日日曜日

小澤征爾とボストン交響楽団の思い出(2)

 私は国際会議に参加するためアメリカを旅していた1993年,旅の途中で小澤がまだ音楽監督をつとめていたボストン交響楽団のそのシーズン(10月から始まる)の最初の演奏会を幸運にも聴くことができた

プログラムは,ツィマーマンとのバルトーク ピアノ協奏曲第1番と,マーラー 交響曲第4番。シーズンのオープニングということで相当華やかなプログラム。ワクワクせずにはいられなかった。

まず昼に一般公開されるゲネプロのチケットをホールのチケットブースで購入して,そこに参加した。ゲネプロのチケットは相当に安価なのである(たぶん2~3千円だった?)。小澤,ツィマーマン,オーケストラの団員はカジュアルな服装だけれど,ほぼ最初から通しで曲を演奏してくれる。そして演奏の前には楽団の方がステージに立って,演奏曲目の解説もしてくれるからお得なのである(残念ながら私の英語能力ではほとんど説明内容を聞き取ることはできなかったけれど。まぁ,バルトークではピアノが打楽器のように使用されているというくだりはわかったかな...)。

ゲネプロが終わったあと,小澤がステージ上に少し残っていて,私と一緒にゲネプロを聴いていた日本人に,江戸弁みたいな訛りで「東京から来たのかい」みたいに話しかけていて,ずいぶん気さくな人だな,と思ったのを覚えている。

さて,ゲネプロで曲目を予習したあとは,本番の夜の演奏会である。これがシーズン最初ということで,交響楽団のパトロンたちが集まるらしく,ホール前にはリムジンが次々と到着し,中から着飾った紳士・淑女たちが赤い絨毯の上に降り立っていくのを見た。自分は,学会発表用に持っていった普通のスーツを着ていたけれど(ボストンのクリーニング屋にスターチ強めでとお願いしたワイシャツを着ていたけれど),やはりタキシードとドレスの間ではみすぼらしさは隠せなかった。

演奏の詳細はすっかり忘れてしまったけれど,一曲目のバルトークのピアノコンチェルトにはひどく興奮してしまい,隣りに座っていた夫婦から「どこがよかったの?」などと訊かれたほどである。英語でうまく答えられなかったことが今でも悔しい。

バルトークのあと少しの休憩。そのとき,ホールのバーでは聴衆全員にシャンパンが無料で振る舞われた。私はもうびっくり!独りだったから話し合う相手もいなかったけれど,独りでホワイエの端の方でじっくりと味を楽しんだ。

そしてマーラーの第4交響曲。少年合唱団も加わって,それはそれは豪華な演奏会だった(ような記憶がある)。演奏会後には小澤征爾が日本が生んだマエストロだということがやっぱり誇りに思えた。その年の国際会議で何を発表したのか,今はさっぱり覚えていないけれど,この小澤征爾&ボストン交響楽団のシーズンオープニングコンサートの記憶はいまだ(それほど)薄れていない。私のクラシック音楽ファン人生のささやかな自慢となっている。

私に素晴らしい青春のひとつの思い出をくれた小澤征爾さんに深く感謝し,ご冥福をお祈りいたします。



#この演奏会でバルトークのピアノコンチェルトが大変気に入って,その後1,2,3番のピアノコンチェルトが好きな曲目になった。そして次にバイオリン協奏曲も。バルトークは民族音楽研究で有名だけれど,しっかり現代音楽にも近い作曲家だと思う。

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