2024年2月3日土曜日

おみくじの意味 ~生活の中のチャンス・オペレーション~

 占いについては私はあまり信じていない。特に「血液型」とか「動物」などはエンターテイメントとして楽しむのは良いけれど,その占いの言葉によって自分の考えや行動が縛られるようになるのは決して良くないと思っている。

一方,おみくじは神社に参拝した際によくひく。私の考えでは,おみくじというのは一種の運試しであり,日々の生活の中の「ランダムインプット」なのである。

私のいうところの,「ランダムインプット」とは何かというと,それは日々の退屈なルーティンから抜け出すための予想を越えたインプットなのである。仕事でも趣味でも,ある程度の長い時間そ関わっていると,残念ながら同じことを繰り返すだけになっていく。

(この段落は読み飛ばしてください)ちょっと理工学的にいうと,制御対象であるシステムがある時間の過渡現象を経て定常状態に達することに似ている。あるいはシステムが線形であり,同じ入力をすれば同じ出力が繰り返されるということにも似ている。とにかくシステムが安定ならば,時間が立てば定常状態になるし,同じ入力であれば同じ出力になる,それが自然の摂理なのである。

このマンネリから脱するために,不確定な入力をわざと生活の中に取り入れる。そのひとつがおみくじなのである。以前にも書いたのだけれど,おみくじは自分の生活を省みる,そして変化させるきっかけとして使えばよいと思っているのである。不確定な入力がなければ予想外の変化は起こらず,また同じような朝を迎えることになる。

辻占もそうだ。全く関係のない誰かの言葉をインプットとして,自分の生活を変えるきっかけを作る。そうした機会として,古来おみくじはひかれてきたのだと思う。

マンネリから抜け出すために不確定入力を用いるという手法といえば,現代作曲家のジョン・ケージを思い出す。彼は偶然性の音楽を目指し,傾倒していた「易」を用いて作曲を行う「チャンス・オペレーション」という手法を用いたと言われている。「易」で音楽を作曲するなんて…と私は思っていたけれど,彼がチャンス・オペレーションで作曲しているところを近くで見た高橋アキ(だったと記憶しているのだけれど)は,易の結果が,ケージが気に入らなかった音だった場合には易をひき直していたとどこかで話していた。そうなのである。易で神様の言葉を聞いて作曲するのではなく,マンネリから脱却するための不確定入力のために易を用いていたのだと思う。

私の場合のおみくじはまさにその生活の「チャンス・オペレーション」である。大きな変化ではないけれど,心がけやちょっとした行動を変えることが日々の幸せの質を向上させるきっかけになりうるのだと思う。だからこれからも私はおみくじをひき続けることになるのだろう。

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