2024年2月23日金曜日

文章の書き方:私のブログ記事の文章がひどい理由

 実は今日が祝日だということに昨日気づいた。最近は土日,祝日にブログ記事をアップロードするようにしているので,今日は記事を落とさないよう慌ててブログを書いている。

私のブログというのは,たいへん申し訳ないけれど人に読んでもらうことを第一目的としていないので,長い間書いているけれど文章が全然うまくなっていないし,またそう心がけてもいないのだけれど,私のブログ記事にも私なりの書き方・構成があるのだという話を今回は少し書いてみたい。

まず小学校で習う物語の構成によくあるのが「起承転結」である。「起」ではじまりを記し,「承」でそれを受けて内容を展開する。そして「転」で思いがけない展開で読者を引き付け,「結」でオチをつけるというものである。映画だってそんな感じである。

しかし論文の書き方というのはちょっと違う。よく言われるのが「序論」「本論」「結論」である。ただ私はもう少し細かくて,「序論1(背景・動機)」,「序論2(先行研究・課題・目的)」,「本論(方法論+結果)」,「議論(反論,考察)」,「結論」の5つの部分から構成されるように思う。「議論(反論,考察)」の吟味が大切なのだと思っている。

一方で,技術仕事文は,「平易な言葉で誤解なく」「簡潔に」「読みやすく」「事実と主張を区別して」などの要件を満たして書くことが求められる。ここが,理系文章と文系文章との違いである。理系文章には著者の感想など不要だし,主語がはっきりしない修辞学的な長文などあってはならない。最近はAIによる英語翻訳がその基準になるだろう。機械翻訳が間違わないようにできているのであればそれは技術仕事文として十分な日本語文章だろうし,一方,英語翻訳されたら主語が代わっていたり,趣旨が間違っていたりするならばそれは不十分な文章だといえるだろう。

さて,このブログだけれど,まず文系的文章というのは私は書けない。使い古された「陳腐な」表現を自分が書くのが大嫌いなのである。「心の琴線に触れた言葉」とか「雷に打たれたような衝撃」とか,「鍋の底が抜けたような大雨」など,書きたくもない。平凡な文章の方がずっといいと思ってしまうのだ。だから小学生の作文のように,文章をベタ書きしている。また修辞学的に凝った文章といのは,あきらかに「狙っている」感が出ていて,恥ずかしいものである(村上春樹的比喩までいくとある意味芸術になるのだろうけれど)。

次にブログ記事も「起承転結」であるべきだとは思うけれど,最近私はこの「結」でオチを書くのが嫌になっているので,このところの記事は「結文」の一文で終わることが多い。「時計の話だけに,一刻も早く解決したい」とか,「核融合方式で議論が過熱しつつあるが,加熱するのはプラズマだけにして欲しい」みたいな,コテコテなオチをつけるのは嫌いなのである。オヤジギャクでしかない。

ということで,私のブログは読みにくい構成で,思いついたまま話し言葉を書いているような文章となっていて,読む人には極めて不親切なものになっている。だからビュー数もかなり低いのも納得なのだ。自己満足な文章を公衆に垂れ流しているといえば,その通りで申し訳ないのだけれど。

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