小澤征爾逝去の知らせを聞く。最近はめっきりメディア露出の機会も減っていたし,たまに表に出てきた彼の姿を見ても少しつらそうだったから,とうとうその時が来てしまったという感じである。
さて,私は学生時代に,1ヶ月ほどカナダとアメリカを旅したことがある。その旅はそれぞれの国で国際会議に参加するためだったけれど,最初にカナダのビクトリアからロスに移動したところで指導教員と別れて,その後は独りでスーツケースを抱えて,ほぼ放浪するようなものだった。行った先々の町でホテルを探し(当時はインターネットがなかったから「地球の歩き方」を見ながら数十ドルで泊まれる地元のホテルに公衆電話から電話をして予約をしていた),その上旅の途中で学生の上限額を超えてカードが使えなくなかったから現金とT/Cを握りしめて,なんとか宿泊代と食事代を支払いながらロスからケープコッドまで(西海岸から東海岸まで)を旅行した。
ケープコッドの国際会議の前にはボストンで数泊した。街では遠い昔にイギリスからの移民船がアメリカに着いた日(?)とかいうお祭りが開かれていて,町は人で溢れていた。そのためYMCAにすでに数日宿泊していた私は宿を追い出されてしまい,仕方ないのでそこで声をかけた英国人男女2名と一緒に部屋をシェアしたりしたのだった。
そのYMCAの宿からボストンのシンフォニーホールまではそれほど離れていなくて,私はそこに足を運んで,小澤&ボストン交響楽団の演奏を聴いたことあるのが自慢である。小澤はその頃まだボストン交響楽団で音楽監督をつとめていた。私は幸運にも1993年のシーズンのオープニングの演奏会を聴くことができたのだった。>>その(2)につづく。
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