2024年4月7日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」。この映画を観て初めに思った疑問は,なぜこの映画が大ヒットしていないのか?なぜ話題になっていないのか?ということである。私の周囲の学生にたずねても,本作の存在自体を知らない人が多かった。

なぜ?こんな名作になりそうなにおいがするのに?

テレビ東京が製作委員会に含まれていてCMがメジャー局で流れていないからなのだろうか。どうして宣伝しないのだろう?本当にもったいない。

原作を読んだことはなかったけれど,「あのちゃん」,「幾田りら」が声優を務めているということで私は映画館に足を運んでこの映画を観た。原作者の浅野いにおも気になっていて,あの絵の感じに妙に惹かれていた。平日最後の夜の回。公開から1週間しかたっていないのに観客は私の他に5~6名がいるだけ。そんなものかと思っていたけれど、映画館を離れるときにはこの観客の少なさに腹が立ってきていた。

映画の内容は、宇宙から侵略者がやってきて大きな被害が出たのだけれど、その後大きな出来事は起こらず、侵略者が存在する世界で日常が進んでいく。そんな世界の女子高生の青春物語...と思っていたのだけれど、侵略者の存在はそんな軽いものではなかった。生活のいろいろなところに影を落とし、それが顕わにする私たちの生活の暗い部分。それを女子高生が(もっというと小・中学生のころから)経験していく物語である。

友達との関係、親との関係、教師への恋、陰謀論に翻弄される人たちとの不理解、暴走する正義感、弱者である侵略者などなど、女子が経験するにはつらそうなことばかりである。私はこの映画はあまりに生活の暗部をむき出しにしすぎるので、「残酷」だと感じた。観ていて胸が痛くなる。「どうかそちら方向にはいかないで!」と心の中で思うのだけれど、残酷にも私が予期するBad Endingに物語は向かっていく。

前章では、主人公である門出と凰蘭の日常と過去、侵略者との出会い、など、謎が散りばめられていて、最後に「どーなっちゃうの?」とある意味クリフハンガー的な終わり方で映画は幕を閉じる。観た人は後章が気になって気になってどうしようもなくなる最高の終わり方になっている。いいぞっ!

こんな名作の予感しかしない作品に懸念されるのは次のふたつ。

1.当初,「後章」は4月下旬の公開だった。しかし,現在は5月下旬に延びたことがアナウンスされている。いやな理由でなければいいのだけど...

2.原作を知らないからオリジナルの結末も知らないのだけれど,映画は映画独自の結末になっているらしい。こうした「アニオリ」みたいなもので成功した例ってあるのだろうか?原作者がちゃんと関わっているのであればひどい結果にはならないとは思うけれど...

でも私はかなりの確率で後章を観に行く。興行収入が悪いからといって短期間で打ち切りになりませんように...(やっぱり宣伝が悪い!と思う)

星5つ!(満点) ★★★★★ 

#この前章の主題歌になっている、あのちゃん feat. 幾田りらの「絶絶絶絶対聖域」が大好き。どこかで聞いたことがあるような気がするけれど思い出せない。それが名曲のあかし。

#作中のドラえもんのパロディ「イソベやん」がちょっとドぎつくてドキッとする

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