深夜ラジオは中高時代の受験勉強の友で,オールナイトニッポンやミスDJリクエストパレード(川島なお美,飯島真理,斉藤慶子なんてよかったなぁ)を毎晩のように聞いていた(新潟は毎日放送もよく電波がはいったのでヤングタウンもよく聞いていた)。ラジオ番組を特集した雑誌なんてのも良く読んでいた覚えがある。
中学校に入るときに自分の貯金でSONYの銀色のポータブルラジオを買って、それをずっと高校を卒業するまで使っていた。自分の貯金だから断る必要もないのに、親には「これから「基礎英語」を聞いて英語を勉強するから」と断って、確か当時で定価15,800円した高価なものを買った。実際には割引して売られていて,その差額は親によってなぜか妹のモノを買うのに回された。不条理を感じたけれど,ラジオを買ったうれしさもあってうまくごまかされてしまった。
SONYのその新しいラジオは当時の最新式の電子式チューニングシステムを使っていて,チューニングダイヤルがない。そして現在の周波数を示す液晶画面もないめちゃくちゃカッコいいモデルだった。自動選局,7つの周波数をメモリ可能で,メモリボタンを押せばすぐにニッポン放送や文化放送を聞かせてくれた。表には「PLL SYNTHESIZER」と書かれていた。今だったらPLLの意味も分かるけれど,当時の小学6年の私にはなんのことだか全く理解できなかった。
この記事を書くにあたり,このラジオをネットで調べてみた。45年も前のラジオなので見つけるのに苦労したけれど,とうとう見つけた。「ピットインFM ICF-M20」という機種らしい。今見てもカッコいい。当時の私のセンスを自慢したい。
ずいぶん前に実家に帰った時に見つけて電源を入れてみた。もうウンとスンともいわなかった。「壊れかけのRadio」ではないけれど,喪失感がひどかった。私のラジオへの愛情が損なわれたようだった。その後そのラジオをどうしたのかは覚えていない。しかし,オートチューニングを始めると放送局を探してくれる「ピピピ」という音と小さなボタンをプチっと押す感触だけはいまも覚えている。。
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