前回は「新潟市歴史博物館みなとぴあ」の話をしようと思って、古町芸者の話に終始してしまったので、今回は博物館の話をする。
展示をみると新潟の歴史は、港町としての繁栄と水との闘いであったと感じられる。
長岡は縄文時代(火焔土器で有名)の次に弥生時代があって、その後ヤマト王権によって統治されていくような歴史であったけれど、新潟は弥生の生活様式の時代の形跡があまりなく、縄文時代の次はヤマト王権による古墳時代となっていたようである。ヤマト時代から港町としての役割を新潟は果たしていて、江戸時代から昭和くらいまでは相当に栄えていたようで、当時の新潟の産物や港町として栄えていた証となる書物などが展示されている。
一方で新潟は地名の通り、「潟」と呼ばれる池・沼ばかりで水はけがよくなかったようであって、新潟の歴史は治水をどのように行ってきたかという歴史でもある。最終的には大河津分水の完成を見て、水害はずいぶん減ったとのことであるけれど、それまで水田を生業とする人たちの苦労は江戸時代からの水路の図面、そして昭和にかけての写真などによってしのばれる。
今年は新潟地震から60周年、中越地震から20年の記念の年でもある(来年は新潟大火70年)。日本の他の土地とかわらず、新潟も数々の苦難を乗り越えてきている。先人たちの苦労を知ることは、今後の防災などを考えるためにも重要であるなぁ、とまじめに考えさせられた...
#新潟が原爆の投下候補地のひとつであったことはあまり知られていない。長岡にも原爆の模擬爆弾が試験的に落とされている。今回、原爆の投下候補地であることを知った新潟の人々が「原爆疎開」をして、多くの人が新潟の地以外で終戦を迎えたのだということを初めて知った。
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