民俗学に憧れる。もしも,私の家がお金持ちで,私が稼ぐ必要がなかったのであれば(つまりは道楽息子でいられたならば),民俗学者になろうとしていたかもしれない。あちらこちらにフィールドワークに出かけて,伝承された話,モノをおじいさん,おばあさんから収集する。地域地域に残る習慣,ならわしの中から文化や技術をすくい上げる。そんな素敵なことで暮らしていけたらどんなに素晴らしいだろう。
特に私は民話が好きである。民話にはその当時の生活習慣,あるいは通過儀礼・禁忌などを含む文化が含まれている。その背景にあったろう生活を想像するのが好きなのである。神話や妖怪が好きなのもそうした理由なのだろう。また寺社仏閣が好きなのもその建立の経緯が面白いからなのだ。
さて,せっかく新潟にいるのだから近隣の寺社を巡ろうと思っていて,先日は,新潟市にある入船地蔵尊 浄信院を訪ねてみた。18世紀末,大飢饉で亡くなった方のために建てられたお寺とのこと。浄土宗。私がなぜこのお寺にわざわざ行ったかというと,そこに祭られている地蔵菩薩の像に伝説があるからなのである。
新潟妖怪研究所のガイドブックによれば,次のような話が伝わっているという。1718年,佐渡から新潟に渡ろうとしていたお坊様(佐渡羽黒山)が船夫に断られてしまった。その船夫の船が新潟の港に入ろうとしたところ,船の動きが鈍くなってしまった。そこで,船を調べたところ,その船の船尾に石の地蔵があるのを見つけて,船夫は海に投げ捨てた。その結果,船は全く進まなくなった。これは地蔵を粗末にした罰に違いないということで地蔵を引き揚げたところ,入り風が吹いて船は入港できたとのこと。そのときの地蔵ということで「入舩地蔵尊」として崇敬されることになったということである。地蔵の背中には享保3年(1713年)「佐州羽黒山覚念」と刻まれているらしい。
当日私が行ってみると,お堂の戸は閉められていて,お参りすることはできそうになかった。「縁がなかった。残念ながら次の機会にしよう」と思ったところ,ちょうど建物の脇から寺の女性の方が出ていらっしゃった。ちょうど外出されるところだったようだ。私を見て,「どうされましたか?」と尋ねてくださって,わざわざお堂の戸を開いてくださった(ご親切,ありがとうございます!)。
お堂の内側は立派な壇が据えられていて,多数の金色の仏様の奥には黒い外見をした菩薩像が置かれているのが見えた。お寺の方が,あれが佐渡から渡ってきたと伝えられているお地蔵様ですと説明してくださった。
お堂のとなりには,別の小さなお堂があって,その中も見せていただいた。お堂の中には金色の地蔵菩薩像が多数おさめられていた。知らなかったのだけれど,明治以降,北前船の船主の信者のみなさんが寄進され,千体地蔵として有名らしい。こちらも伝説があって,明治の頃,もともとはある船主の長男の嫁が船主の病気平癒のため毎日参詣して,小さな木の仏像を寄進していたとのこと。二百体ほどに達したころ,夢にすべての仏像を金色にすれば平癒するというお告げをうけて,船主が金箔代を寄進したのだという。以来,信者が寄進した小さな仏像は二千体にも達するとのことである。
こんなふうに新潟の地元にもいくつもの伝説が伝承されている。少しずつそうした場所を訪れるのが楽しみとなっている。
入船地蔵尊浄信院 |
#現代の「都市伝説」もいつか将来の民俗学の対象になっているだろう。電子的なアーカイブが残っていれば,それはそれは興味深い研究資料になるに違いない。
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