「旧第四銀行住吉町支店」、「旧新潟税関庁舎」と紹介してきたけれど、それらは「新潟市歴史博物館みなとぴあ」の敷地内にある。もちろん、訪問した。
長岡市にある新潟県歴史博物館は、どちらかというと縄文の暮らし、長岡藩と戊辰戦争、そして雪とくらし、という感じの展示だったけれど、新潟市歴史博物館は、やはり港町としての繁栄の歴史に関わる展示が中心だったように思う。特に、明治以降、横浜、函館、長崎、神戸とならんで開港された新潟は、貿易の拠点として栄えた歴史があって、その頃の民俗を示すモノや文書が並んでいてたいへん興味深かった。
特に私が訪れたときには、「新潟美人と花街」という開館20周年を記念する特別展が開かれていて、往時の繁栄がしのばれた。友人から教えてもらって知ったのだけれど、三大芸妓といえば、「京都祇園」、「東京新橋」そして「新潟古町」だったのだそう。幕末に開港されるまでも北前船でにぎわっていて、「新潟は松と男は育たない」(海風が強くて松が育たない。男は女遊びの誘惑が多すぎて育たない)という言葉があったくらいだそうである。多い時には400名近くの芸妓がいたとのことであるけれど、今回の展示をみると娼妓(遊女)も多かったらしく、かわいそうな身の上の女性も多かったのだろう。
明治くらいになると芸妓の写真が撮られ、現在の風俗嬢のような(というと怒られるだろうか)女性のカタログが作られていて、それも展示してあった。そのカタログには「新潟美人」という言葉が躍っていて、これが全国的に「新潟美人」を知らしめる一助になったことを知った。今見ても美人ばかりが載っている。一方で新潟新聞や読売新聞なども今であればコンプライアンス的にどうかと思われるような芸妓の美人コンテストなどを催していたりして、現在と変わらない。有名画家が描いたコンテスト10位までの芸妓の掛け軸も飾られていたけれど、一位の芸妓は数万票を集めていたりして驚いた。一票投票するために新聞社の何かを買うかなにか契約していたらしく、少し前のAKB48と同様の推し活動があったようである。
現在は60名程度しか古町芸妓には在籍していないようである。ひとつの文化であるから、消えないようにみんなで盛り上げてあげたらどうだろう。(私にはそんな経済的な余裕はないので、どなたかにお願いしたい)
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