毎日の暮らしの中で,「沈黙」というのはたいへん重要な意味を持つ。私などはついついペラペラと話しすぎてしまうので,「沈黙は金」などと言われるとたいへんに耳が痛い。
会話の中で「沈黙」は非常に重要である。間断なく話しているとき,他人はほとんど話を聞かなくなる。沈黙がない話は注意力が続かなくなるからである。逆に途中途中に沈黙があると,人は「次に何を話すのだろう」とつい耳を傾けてしまう。だから適宜話を休むことは大切なのである。音楽でも,パウゼ(休止)のない楽曲なんてとても聞いていられない。話の休止による間の取り方,すなわちリズムが大切なのである。
音楽といえば,ジョン・ケージの「4分33秒」という有名曲がある。これは人間が沈黙の中で音に耳を澄まさなければならないという作品だけれど,音楽会という場で沈黙を経験するなんて,そしてあちらこちらで発せられる音に注意を払うなんて,なんという貴重で面白い体験なのだろう。
会話でなくとも日常生活の中で沈黙はとても大切である。それは熟慮して行動を起こす大切さである。行動だけでは「匹夫の勇」となる場合がある。「沈思黙考」の時間があってこそ将たる適切な行動がとれるのだと思う。ただ忙殺されている毎日のなかで「沈思黙考」の時間をとることこそが難事である。
遠藤周作の作品「沈黙」は確か高校の教科書で触れた。あまりにも救いがなく人を試す話に読み返す勇気が今もない。だからマーティン・スコセッシの作品である「沈黙」も観る勇気がない。たとえ彼が再び遠藤周作の作品を映画化したというニュースを聞いても。自分の心を試すことは相当な決心がいる。たとえ私はすぐに「踏み絵」を踏むことがわかっていたとしても。
「沈黙」という言葉にはいろいろイメージがあり,それをテーマにした音楽,小説などのいろいろな作品があることがわかる。村上春樹にも「沈黙」という自分の心と向き合わされるような怖い作品があった。本棚に本は並んでいるけれど,やはり読み返す勇気がない。
沈黙は日々の生活の中で必要不可欠なものであるけれど,それを自分の心を向き合う時間にあてることになるとそのことにかなりのリソースを費やすことになる。日々の生活で目をそらして生きている事柄にフォーカスしなければならなくなるからだ。「沈黙」は大切だけれど,私にとっては怖いものでもある。
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