2024年6月30日日曜日

納屋を焼く Barn Burning

 村上春樹に,「納屋を焼く」という不気味な短編がある。結局,「謎」が「謎」のまま残され,どうなったのか,何が起こったのか,わからないまま終わってしまう作品である。

主人公の女友達がボーイフレンドを連れてくる。酒を飲みあって(大麻も吸って),そのボーイフレンドが主人公に向かって「時々,納屋を焼く」という。そして近いうちにも「納屋を焼く」という。主人公はそれから,近隣に注意してみるが焼かれた納屋は見つからなかった。ふたたびそのボーイフレンドにあって尋ねると納屋はきれいに焼いた,という。それでも焼かれた納屋は見つからない。そして主人公の女友達も消えてしまった。

結局,「納屋を焼く」というのはなにかのメタファーであり,それは女友達が消えたことから彼女に関係があるのは間違いないのだけれど,何を示しているのかよくわからない。ネット上ではこれまで多くの考察がなされていて,その言動の不気味さから彼女のボーイフレンドが彼女を殺した,とか,主人公の中から彼女の存在を消し去った(恋人を奪った?)などと書かれている。

村上春樹は謎は謎のままにしておくのが好きなようだから,結局のところ答えはこのまま明らかにされないだろう。しかし,この不穏な終わり方は私たちの不安を宙づりのままにしてしまっている。そしてそれが魅力であって,種明かしされてしまったらこの作品はつまらないものになってしまうかもしれない。私にとっては,謎は謎のままがいい。

さて,突然「納屋を焼く」を取り上げたのは,そんな考察合戦に私も加わりたいからではない。実は最近,「納屋」という意味の英単語が「Barn」だと知って(本当に英語の勉強不足が恥ずかしい),「納屋を焼く」って,「Barn Burning」というオヤジのダジャレみたいだなと思ったことによる。むしろ韻を踏んでいるというべきなのだろうけど...

村上春樹のダジャレなのかと思ったら,ウィリアム・フォークナーにも同名の作品があって決してダジャレではないことも知った(そもそも,あんな不気味な小説にダジャレみたいなタイトルはつけないだろうけれど...)。でも面白くて,この作品を取り上げてみた。久しぶりに読んでみようかな,と思う。

#佐野元春のアルバムに「The Barn」というものがあるけれど,これも「納屋」という意味であっているのだろうか?それともなにか別の意味なのか。。。

2024年6月23日日曜日

老いと姿勢

 私たちは,顔や姿を見なくても人のシルエットを見てその人が子供か若者か,もしくは老人かをだいたい判断できる。歩くスピードや歩幅などで判断することもあるが,だいたいはその姿勢から判断しているのではないだろうか。

若い人と老人との違いは,特に上半身の姿勢に表われる。すなわち,若い人の立ち姿は背筋が自然に伸びているのに対して,年齢をとるにつれて前傾,あるいは後傾する不自然な姿勢に近づいてくる。体幹の筋力が低下していることの表れなのだろう。

たしかに体幹の筋力が弱くなってくると,姿勢が悪くなるほか,歩き方でも歩幅が狭くなったり,バランスが悪くなって上半身が左右に揺れながら歩いたりすることになる。当然転倒することも多くなる(さらにいうと太る)。

ということは,自分の身体年齢を若く保つには姿勢に気を付けることが大切であると考えられる。体幹を中心にトレーニングする方法も盛んに本やネットで紹介されているけれど,まずは日頃の姿勢に気を付けるだけで大きく変わるのだろうと考えている。立ち姿,歩く姿,そして椅子に座った時の姿。ついつい癖で仙骨が寝ることによって背骨が曲がってしまい,姿勢が前傾してしまう。これでは,おじいさんの姿そのものである。自分が若者であったらどのような姿勢で立つか,歩くか,座るか,それらに日常的に気を付けることが大切なのだろう。特別なトレーニングはせずとも,毎日の生活の中で体幹を鍛えることは可能だ。老いのスピードは毎日の心がけにかかっているようである。

2024年6月22日土曜日

ある不良少女の思い出

 私が中学生の頃,学校は校内暴力の真っただ中にあって,朝学校に行くのが憂鬱だった。私は生徒会長とか務めていたから,いろいろとトラブルが毎日のように発生していて,通学の苦痛はなおさらだった。

学校には典型的な「不良」と呼ばれる少年少女がいて,トラブルの真ん中に彼らがいた。しかし,「不良」の中にもいろいろレベルがあって,本当にすごい暴れ方をする人もいたし,少し距離をとって不良というレッテルに憧れてそのような格好をしているだけの人もいた。

そのなかに友達や知り合いではなかったけれど,不良少女の二人組がいて,その片方の女の子の思い出がいまも忘れられない。

その同級の女の子は,髪の毛が天然なのか短髪茶色でパーマのようにクルクルしていた。色白だったけれど,唇はいつも真っ赤でそれは口紅を塗っているのだろうと予想された。もちろん制服のスカートは袴のようにとても長かった。彼女とは話したこともないけれど,私のクラスの女の子の一人と一緒にいることが多かったから,日頃彼女を目にすることが多かった。別に他人に迷惑をかけるような感じでもなかったので,そんなに気にもしていなかった。

そんなその女の子について忘れられないことがふたつある。

ひとつは,彼女がお百度参りをしていたという話。彼女が好きな男のためなのだろうか,高校合格を祈って神社でお百度参りしていたということを聞いた。新潟なので雪深い中,足元の悪い神社でお百度参りをするのは簡単なことではない。あぁ,あんな格好をしているけれど普通の女の子よりむしろ純情なのだな,ととても感心したことを覚えている。

もうひとつは,ある日の昼食時間のこと,いつもの放送部の事務的な校内放送とは違い,まるでどこかの人気番組のラジオDJのように軽快な話し方で,流行っていた曲をよどみなく紹介していく女の子の声が流れてきた。あの女の子だった。本当にすばらしいDJだった。どういう経緯でその日の昼の放送を担当したのか全く想像もつかないのだけれど,その1回きりの放送にとても感動したのだ。本当にうまいなぁ,と。

卒業後,彼女がどうなったのか,まったく知らない。そういえば,病気のために彼女は一年年上だったという噂も聞いたことがあったような,なかったような。。。ただ彼女のこの二つのエピソードは,あまり気づかなかったけれど私の意識の深いところにそれからずっと影響を与えつづけてきたような気がする。

2024年6月16日日曜日

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション後章

アニメの超名作に間違いない「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」。3月に前章を観て,後章が待ち遠しくてようやく観ることができた。

正直,前章を観たときのような衝撃はなかった。しかし,前章の謎解きがうまくされているし,そしてそれでも内容は衝撃的で,記憶に残る良い作品だった。前章の謎解きがされていくのだけれど,登場人物(の主人公に限らず誰でも)のどうしようもならないつらさは変わらない。特に主人公のおんたんの心情を考えると胸が痛くなる。「僕は門出の"絶対"だから」というセリフも門出が「絶対」以外にはなりえない過去を背負っていることを思うととても切ない。

前章,後章を観て思ったのは,私たちは明日地球が滅ぶとしたらなにをするかということである。前章でおんたんの兄のヒロシがこう言っていた。

もしなにかが起きたとき、俺たち凡人は受け入れるしかないんだ

だからこの映画の世界では,空に侵略者の母船が浮かんでいたとしても,人々はそれまでと変わらない日常生活を送っている。こんな状況下だったら,私は何をするのだろう。

私たちは毎日,明日が来ることが当然のように暮らしている。しかしそれは世界の現実から目をそらして生きていることに他ならない。明日,突然私の命が終わってしまう可能性だってあるのだ。映画のシチュエーションはそれが侵略者の母船として顕在化された世界であった,私たちのこの世界と変わらない。明日死ぬかもしれない毎日を生きている私たちは今日をどうやって生きるべきなのか。

そしてヒロシはこう妹のおんたんに問いかける。

最後まで希望を失わないためには どうしたらいいと思う?
 誰かを守るんだ
 その誰かを最後の最後まで守り抜け
 その気持ちは 何にも代えがたい強さになる
 だとすればお前は、誰を守る?」

本作品では,特に侵略者との闘いで目を背けたくなる場面が多くPG12に指定されている。心が傷つけられるような残酷さが,門出やおんたんたちの日常生活と対比されるように描かれている。そして最後のクライマックス。東京が消滅し次々と大切な人が亡くなっていく中で,でんぱ組.incの「あした地球がこなごなになっても」が流れるシーンは本当に衝撃的だ。私はぐちゃぐちゃな気持ちでスクリーンを見ていた。

最後に大事な人たちを失った人々がまた日常生活を続けているシーンが描かれている。それがこの作品の問いかけに対する回答なのかもしれないと思った。

評価は★★★★☆(星4つ)


#侵略者たちが防護服の下の正体を見せるシーンはゾッとした

#今作は特におんたんの心情が描かれることが多かったのだけれど,声優をつとめたあのちゃんの才能に驚いた。前章の幾田りらとともにこのキャスティングは神。

#やはり原作の結末が気になる。。。

2024年6月15日土曜日

「滅相も無い」 ~よくわからないが「人間」を感じさせるドラマだった~

 「滅相も無い」というテレビドラマを見ていた。毎日放送MBSが制作している深夜ドラマの枠である。最終回(第8回)が放映されたので感想をまとめる。

はっきりいってよくわからないドラマだった。

まず,設定がよくわからない。この日本において,空間に突然巨大な穴が開いた。これまでに少なくない人数の人間ががその穴に入っていったが戻ってきた人はいない。その穴を神として宗教家があらわれ(堤真一),その信者8名が集まって穴に入る前に自分の人生について話し合うという設定である。もちろん登場人物の人間性を掘り下げる切っ掛けとして,こうしたSF設定は都合がよいとは思うのだけれど,そこに切っ掛け以上の意味はないように思う。「穴」はなにかの暗喩であるのかもしれないが。

次に,演出がよくわからない。演出が舞台くさかった。と思ったらこの番組の監督は加藤拓也という人で,岸田國士戯曲賞などを受賞している気鋭の舞台作家だった。集まった信者8名がそれぞれ1話ごとに自分の人生について話始めるのだけれど,8名が一緒に居て話しあうところは普通のドラマ演出なのに,各自の話となると舞台風の演出となる。すなわち場面転換なども舞台風,着替えなども舞台風,こうした演出が苦手な人には不向きなドラマであった。なぜこのような舞台風の演出にする必要があったのだろうか。各人の独白には確かに深みが加わったように思えたけれど...

しかし出演者は超豪華だった。まず宗教家の堤真一なんて,全編を通してちょっとしか出てこない。なんか抽象的な言葉を吐くだけの怪しい人だった。そして各話で人生を独白する人は,出演順に,中川大志、染谷将太、上白石萌歌、森田想、古舘寛治、平原テツ、中嶋朋子、窪田正孝であった。さすがにみんなうまい。話に引き込まれる。しかしその一方で語られる内容はあいまいで,テーマもぼんやり。結局,穴に入る,入らないという決断についてもその理由が明確に説明されない。人間とは各人が語る不条理な人生を送り,あいまいな決断で生きているものだと思わされる。スッキリ感は全くない。

そして最後にタイトル。どうして「滅相も無い」というタイトルだったのだろう。そこが一番よくわからない。

といろいろ悪口を並べてみてきたけれど,結局,全話最後まで見てしまった。それはなにより出演者の演技の魅力が理由に他ならない。わけがわからないけれど,人は決して完全な人生を送ることができない。それが「人間」なのだと感じさせるドラマだった。

2024年6月9日日曜日

LEATHER TRAMP KITCHEN 新潟市内のハンバーガーショップ

 ハンバーガー大好きな私だけれど,長岡市,新潟市ではあまり専門店を訪れていないのが気になっていた。というわけで,新潟市でお腹がペコペコになったとき「ハンバーガー」でマップを検索して,1軒の専門店を見つけた。

"LEATHER TRAMP KITCHEN   BURGERS & SANDWITCHES"

が今回紹介したいハンバーガーショップである。

たいへんに小さな店で,2階建て。1階から扉を開けて入ってみるとキッチンが右手にあり,若い男性2名が中に入って忙しそうに調理をしていた。そして並びのレジにはこれまた若い女性が1名,注文を受けたり配膳をしたりしていた。奥までの階段につづく狭い通路の左側は待合となっていて,壁に作り付けのテーブルにハイチェアがいくつかあってアメリカの田舎風の内装。先客の若い女性2名が椅子に座って楽しそうに話している。

「そちらでお待ちください」

と声をかけられたので,椅子に座って待つことにする。客席は2階にあるようだけれど,どうも満席らしい。10分ほどして階段から幾人かの客が下りてきて出て行ったので,先に待っていた若い女性2名が呼ばれて2階に上がっていった。

「お時間大丈夫ですか?長くお待ちいただいて申し訳ありません」

と私に声がかけられ,「大丈夫です」と答える。繁盛しているのは良いことだけれど,待つのは正直腹の空いた身にはつらい。時刻ももう14時近い。

「狭い店なもので」

とも謝られる。と言われたって,いまさら店を出ていくわけにもいかないので持ち歩いていた本を出して読み始める。「日本最後のシャーマンたち」。たいへんに面白い本なのだけれど,アメリカナイズされた店内にはちょっとそぐわない。

結局30分程度も待たされて,ようやくレジに呼ばれる。せっかくだから期間限定の「ビーフダブルチーズバーガー」(1,380円)。バーガーにポテトはつくのかと尋ねると残念ながらつかず,ビールセットならばつくというので「ビールセット」(1,000円)を注文した。ビールが高いような気もしたが,Brewskiというクラフトビールでどうもスウェーデンのビールらしい。種類を尋ねられて迷わずIPAを頼んだ。

2階に上がってもクラシックなアメリカンスタイルのシンプルな店内。狭い空間は若い人たちでいっぱい。先ほど階段を昇って行った女性2名もいた。私も(1名だけれど)2名席に通されてバーガーを待つことになった。

先の女性2名に大きなハンバーガーが2つ運ばれてくる。女性の店員がバーガーの食べ方をレクチャーしている。そうそう,ハンバーガーは紙の袋に入れてつぶしてからかぶりつくのが流儀なのだ。しかし,彼女たちは店員さんが去ってからもなかなか食べ始めようとはしない。もちろん,写真を撮るためである...(これじゃなかなか席が空かないよ...)

ようやく私にもハンバーガーが運ばれてきた。先に運ばれたビールもまだ半分残っている。味は...まずいわけがない。うま味のあるバンズで挟まれたフレッシュな冷たい野菜と焼かれたばかりのジューシーなパテを紙袋に包み,上下につぶしてかぶりつく。ぐっとその複層的な味を楽しみながら追いビール。「やっぱりハンバーガーはこうでなければ」,という味である。間違いがない。

ということで,またハンバーガーを楽しみに訪れたい店である。万代から歩いて10分くらいかな。もう少し空いている日にまた行きたい。


ビーフダブルチーズバーガーとビールセット。写真を見るだけでよだれが出てくる




2024年6月8日土曜日

ブルックナー交響曲第7番 第3楽章スケルツォの魅力

 テレビからブルックナー交響曲第7番第3楽章の音楽が流れてきて驚いた。一般的には馴染みの薄い曲だと思っているのだけれど...  それは東京交響楽団新潟公演のCMで,どうも今度7月の定期演奏会に演奏されるらしい。

プログラムをみるとラヴェルの「クープランの墓 管弦楽版」とブル7らしい。ちょっと渋いクラシック音楽ファン向けの演目である。

私はブルックナーの交響曲はかなり好きな曲群で,これまでもこのブログで何度も取り上げてきている。特に3,5,7,8,9番が好きで,7番ではうっとりするような美しい旋律が魅力的な第1,2楽章が大好きである。ブルックナーの交響曲はどちらかというと「甘さ」がない厳しい音楽が多いと思っているのだけれど,この7番の第1,2楽章は彼の作品では珍しく女性的な柔らかさ,優美さを持っている。あまり知られていないのをいつも残念に思っている。

一方,第3楽章は勇壮なスケルツォである。第1,2楽章で優美さに心を奪われたあとに目が覚めるような荒々しさがある。そして彼の他の交響曲と同様に,同じメロディがこれでもか,これでもかと繰り返される。これがブルックナーが苦手な人の理由のひとつとなっている。

ゲオルグ・ショルティによる本作品の演奏映像を見たことがある(たぶんシカゴ交響楽団)。ショルティのインタビュー映像も入っていたのだけれど,彼が子供時代,親に演奏会に連れていかれてブル7を聴いた経験を話していた。彼は第3楽章の単調さに演奏会中ついつい居眠りをしてしまったのだそう。そして居眠りから起きてみてもまだ同じメロディーが繰り返されていたんだよ,と冗談交じりに話していた。それくらい単調で長い。

(余談だけれど,私は大学の研究室時代,研究に疲れると図書館にサボりによく行っていた。そこでクラシック音楽のレーザーディスクを見ていたのだ。この作品もレーザーディスクをパイオニアのプレーヤーを使ってヘッドホンで視聴した記憶がある)

それでも私は彼のスケルツォが好きである。ブル7のスケルツォは彼のすべての交響曲の中でも最も魅力的なのではないかと思うくらい。でもそれが合わない人には合わないんだろうなぁ。ブルックナーの交響曲の中では4番と並んで人気がある作品だと思うけれど,CMに流れた第3楽章の音楽で集客できるのかとちょっと心配してしまうのである。

#以前にも書いたけれど,ブル7の第4楽章は残念ながら第1~3楽章までに不釣り合いだと思っている。なんとなく"小品"感がある。もっと壮大な音楽だったら第7番交響曲こそ彼の最高傑作となっていたかもしれないと思うのだけど...

2024年6月2日日曜日

イシナガキクエを探しています

 テレビ東京はいろいろなホラーを製作しているけれど,最近はモキュメンタリーと呼ばれるドキュメンタリーのようなフィクションをときどき製作している。私はそれらの番組が結構好きでこれまでにも

「テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?」
「SIX HACK」

そして

「祓除」

などの番組を見てきた。のちに,これらは共通して「大森時生」というテレビ東京のプロデューサーが関係していることを知ったのだけれど,テレビ東京ではこうしたモキュメンタリーなどを放映するらしい「TXQ FICTION」という枠をこの4月から設けて,やはり大森氏が関係している「イシナガキクエを探しています」というモキュメンタリーを第1作目として放映したのである。

この番組の設定が秀逸で,過去によくあった行方不明者をテレビの生放送で公開捜索するという番組を模している。そこで「イシナガキクエ」という女性を探すのだけれど,イシナガキクエは亡くなっている可能性が高くなり,探すことを依頼した米原という老人も亡くなったこともあって,捜索は打ち切り,3回目でテレビ放映は中止された,ということになっている。米原氏は焼身自殺したことを最後に伝え不穏な空気のまま,なんの解決もされないまま番組が終了するという,なんとも気持ち悪い終わり方であった。(今思うと,公開捜索番組ってかなりおかしなことをやっている。現在はできないのではないかと思う)

いろいろな謎が提示されたまま終了するのかと思っていたら,第4回目はネットで放映されていた。第4回目ではいくつかの謎に対して推測される解答が示されていたけれど,それでもよくわからないまま番組は終了したことになっている。

私は大いに楽しんだけれど,なんの前知識もないままこの番組を見た人は,番組開始直後に「この番組はフィクションです」と断りがあったにしても,わけもわからないまま放り出されて番組が終わったことに戸惑ったに違いない。そしてネット放映を知らないままの人も数多くいるだろうから,それらの人たちのモヤモヤ感を想像すると私がその立場だったら怒りさえ覚えるかもしれないと思う。

まあ世の中,こうした番組を許すような余裕ができたくらいに成熟したということも言えるだろうけれど,私としてはやはり結末までテレビ放映はしてほしいと思う。ネットの最終回前提が当たり前になると,テレビ放映回を見ていてもどこか集中が途切れてしまう。「SIX HACK」のときも同様だし,私は未見なのだけれど「Aマッソのがんばれ奥様ッソ! 」の事後番組もネットでのみ配信されているのを見ると,テレビ大好き人間としてはちょっと悲しい。次作からはぜひテレビ放映のみで番組を完結するようにして欲しいと思う。(実際は新潟では放映されていない番組なので私は動画配信で観たのだけれど)

本記事では「イシナガキクエを探しています」の内容にはほとんど触れることができなかったけれど,ホラーとして発生する事象(「幽霊が現れる」とか)よりもいろいろな設定こそがじわじわくる「恐怖」であるというジャパニーズホラーの王道を行っている番組である。こうした考察を必要とするホラーもたいへん楽しい。TXQ FICTIONの枠に今後も期待したい。

#番組第1話で,視聴者から寄せられたイシナガキクエに関する情報で,「長岡駅のホームに立っているのを見た」と白板にメモが貼られているのを見てニヤリとした

2024年6月1日土曜日

日本怪奇ルポルタージュ ~こんなに重い内容の番組がテレ東にあるなんて~

 新潟にはテレビ東京系列の地方局がなく,テレ東Bizなどは残念ながら見る機会が少ないのだけれど,個人的にはテレビ東京の番組は結構好きである。

最近では,「伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評」という番組を動画配信Tverで楽しみに見ているのだけれど,そこで紹介されていた「日本怪奇ルポルタージュ」がすごい番組であるのでぜひ紹介したい。

「怪奇」といってもオカルトではなく,「いじめ」,「ヤングケアラー」,「家庭内虐待」などの現代日本の複雑な問題を取り上げ,そのドキュメンタリー取材のビデオをコメンテータが見てコメントする30分の深夜番組である。佐久間亘行が出演をしている。

これまでに7回放送されていて,残念ながら私は第1回と第2回(9浪の末,娘が母親を殺してしまった事件などを取り扱った回と芸人Zazzyの家庭内教育虐待の回)を見ることはできなかったのだけれど(なんと初回は1月1日の深夜に放送されていた),とにかくすべての回が内容が重すぎる。とてもうわついた心で楽しむような番組ではないのである。

例えば「ヤングケアラー」の回は平成ノブシコブシの徳井の母親と妹の面倒をみていたという話で,見ていてとても胸が痛くなった。他の家庭を知らない子供は自分の家庭が特殊であるということに気づかずに,家族の面倒をみることに疑問を持たず過酷な状況に陥るということがよく理解できる回だった。

「ネットミーム」の回はまだマシだったけれど,「逃亡を続けていた爆発犯が最後に名乗り出た話」や最終回の「京都アニメーションの犯人のやけど治療を行った医者」などの回はじっと画面を見つめてしまうほどの重さだった。

この番組の特徴はこの内容の「重さ」である。取材ビデオを見ることによって視聴者はもう逃げることができなくなってしまう。答えは出ない問題であるけれど,なにかしらの自分の考えを問われる番組なのである。しかし,「重さ」のわりにそれほど「暗さ」や「絶望」を感じない。それは番組の構成,編集のおかげなのだろう。内容の暗さに視聴者がもう二度と見たくないと思わせないくらいのギリギリのラインで番組は作られている。

今まで知らなかった方には,ぜひ知ってほしい,良質な番組であると私は思う。ただ,残念ながらこの番組は1月1日深夜に初回の1回,そして4月4日~5月9日まで6週連続で放映されて,その後の放映の予定は公表されていない。この先どうなるのか。しかし,私としては期待を大にして続編を待ちたい。


#佐久間宣行氏はお笑いだけでなくこのような番組も向いているのだなと思う。興味深い人だなと注目している

#伊集院光氏は私と同い年なこともあってか,彼の感性で話される内容について共感することが多い。彼の出る番組もついつい見てしまうものが多い

志賀直哉旧居にて「志賀直哉」を堪能する

 9月初旬,奈良春日野国際フォーラムで開催された国際会議のあと,奈良公園の中にある「 志賀直哉旧居 」を訪問することができた。昭和初期に志賀直哉自身が設計し建築した半和風・半洋風な邸宅なのだけれど,現在は奈良学園のセミナーハウスとなっている(見学可)。 志賀直哉の美的センスが感じ...