2024年6月22日土曜日

ある不良少女の思い出

 私が中学生の頃,学校は校内暴力の真っただ中にあって,朝学校に行くのが憂鬱だった。私は生徒会長とか務めていたから,いろいろとトラブルが毎日のように発生していて,通学の苦痛はなおさらだった。

学校には典型的な「不良」と呼ばれる少年少女がいて,トラブルの真ん中に彼らがいた。しかし,「不良」の中にもいろいろレベルがあって,本当にすごい暴れ方をする人もいたし,少し距離をとって不良というレッテルに憧れてそのような格好をしているだけの人もいた。

そのなかに友達や知り合いではなかったけれど,不良少女の二人組がいて,その片方の女の子の思い出がいまも忘れられない。

その同級の女の子は,髪の毛が天然なのか短髪茶色でパーマのようにクルクルしていた。色白だったけれど,唇はいつも真っ赤でそれは口紅を塗っているのだろうと予想された。もちろん制服のスカートは袴のようにとても長かった。彼女とは話したこともないけれど,私のクラスの女の子の一人と一緒にいることが多かったから,日頃彼女を目にすることが多かった。別に他人に迷惑をかけるような感じでもなかったので,そんなに気にもしていなかった。

そんなその女の子について忘れられないことがふたつある。

ひとつは,彼女がお百度参りをしていたという話。彼女が好きな男のためなのだろうか,高校合格を祈って神社でお百度参りしていたということを聞いた。新潟なので雪深い中,足元の悪い神社でお百度参りをするのは簡単なことではない。あぁ,あんな格好をしているけれど普通の女の子よりむしろ純情なのだな,ととても感心したことを覚えている。

もうひとつは,ある日の昼食時間のこと,いつもの放送部の事務的な校内放送とは違い,まるでどこかの人気番組のラジオDJのように軽快な話し方で,流行っていた曲をよどみなく紹介していく女の子の声が流れてきた。あの女の子だった。本当にすばらしいDJだった。どういう経緯でその日の昼の放送を担当したのか全く想像もつかないのだけれど,その1回きりの放送にとても感動したのだ。本当にうまいなぁ,と。

卒業後,彼女がどうなったのか,まったく知らない。そういえば,病気のために彼女は一年年上だったという噂も聞いたことがあったような,なかったような。。。ただ彼女のこの二つのエピソードは,あまり気づかなかったけれど私の意識の深いところにそれからずっと影響を与えつづけてきたような気がする。

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