最近「日本最後のシャーマンたち」という本を読んでいて,「瞽女(ごぜ)」の話が出てきていて少し気に留めていたところ,瞽女唄を聞く会があるとたまたま知ったので(新潟妖怪研究所の案内で),先日新潟市まで聞きに出かけた。
瞽女というのは盲目の女性の唄を歌ったり語りをする人たちで,晴眼の人に連れられて集団で村から村へと渡り歩いて,そこで芸を披露して宿と食べ物を提供してもらう人たちである。先に挙げた本によれば,昔は盲目の女性は娼婦に身を落とすか,瞽女になるかという厳しい時代だったようで(東北では瞽女の代わりにイタコになる),昭和の時代までは少なくとも瞽女はいたらしい。
なぜ瞽女に興味をもったかというと,明治の近代以降,瞽女が盛んだったのはこの北陸,特に新潟県地域だったらしく,長岡近辺出身の私の母も瞽女の話をしたことがあったような気がするからである。人間国宝にもなった「小林ハル」は長岡瞽女だったという。
修行は相当過酷だったらしく,「日本最後の...」に瞽女が紹介されている数ページには,胸が痛くなるようなエピソードが並んでいる。十年以上も厳しい師弟関係の中で芸を受け継ぎ,生きているのが奇跡と思うような修行・罰を経験している。小林ハルも最終的には老人養護施設に入り,昭和まで存命だったらしいが,彼女の人生の悲しみを思うとつらくなるほどである。
今回聞くことができたのは,この小林ハルの孫弟子にあたる「金子まゆ」さんのもので,内容は「葛の葉子別れ」だった。安倍晴明が母である狐と別れる話で,こんな風に三味線で語られるのだなぁ,と感動した。テレビもラジオも,ましてネットなどなかった時代,こうして村を回ってくる彼女たちの語りこそがエンターテイメントだったのだろう。みな固唾を飲んで耳を傾けていたに違いない。またこうした瞽女を泊め,もてなすのは村々の名家であって,それが富を持っていることの証のひとつだったのだろうと思う。
金子さんは晴眼の主婦の方で4年間師匠について勉強してその後工夫をされているのだという。瞽女にもいろいろな方がいて,いろいろな唄い方があったのだろうから,今後もぜひこうした芸を受け継ぎ,紹介することを続けていっていただきたいと思った。YoutubeやCDなどの録音で聞いてもあまり心が動かない。やはりこうした唄は生で聞かなければ魅力は伝わらないということもよくわかった。
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