雑誌「BRUTUS」で最近SFが特集されていた。ドラえもんとのび太が描かれた青い表紙の号で,「最近,全然本を読んでいないなぁ」と思い購入した。いろいろな観点からいろいろなSF小説が紹介されていて,まだまだ雑誌の1/3も読んでいないのだけれど,「この本も読んでみたいなぁ」と夢ばかりふくらんでいる。
そもそもSFがなんの略なのかも知らない若者も多くなっているのだという。もちろん,Science Fictionの略であり,海外の本屋にいくと「Sci-Fi」のコーナーがドーンととってある。海外の方が日本よりSF人気が高いような気がする。
ただSFの定義が難しくなってきているとは思う。例えば日本ではSFをSci-Fiとは別にScience Fantasyと読み替えることも多くなっているらしい。異世界転生ものはScience Fantasyに含まれるのだろうか。確かに「ブギーポップ」あたりからファンタジー色が強い作品が増えてきていて,最近は「ハードSF」が減っているような気がする(私が最近本を読んでいないだけなのかもしれないけど)。
私も本当に本を読まなくなった。SFに限ればさらに少ない。伊藤計劃の「虐殺器官」,「ハーモニー」,そして神林長平の「いま集合的無意識を、」や戦闘妖精・雪風シリーズの途中までくらいが最後だろうか。なんとも恥ずかしい。「三体」とか「DUNE」とか映像化された作品も読んでみたいなぁ,とは思っているのだけれど...
ドラえもんも立派なSFである(藤子F氏はSFを「すこし,ふしぎ」と呼んでいたようだけれど)。だがドラえもんの誕生までにはまだ技術力が全く足りない。鉄腕アトムの誕生は2003年だったけれど,もうとうに過ぎている。夢の技術の実現はまだまだ遠い。しかし,サイバーパンクな世界だけは現実になりつつあるような気がする。「ブレードランナー」は2019年の設定だし,「AKIRA」も2020年の東京オリンピックが開かれた時代だ。科学技術はまだまだSF世界に追いついていないけれど,情報が支配するディストピアだけは現実化している。
SFというのはもっともらしい科学的設定(ウソ)の上に成り立つ物語だと思うのだけれど,サイバーパンク世界は私たちにとってはすでにウソではなく,現実に向き合わなければならないものになってしまった。SFに夢を見る時代ではなくなったのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿