不定期で放映されているテレビ番組「日本怪奇ルポルタージュ」。先週突然に放映されて,今回は放映時間が延長されていた(もちろんテレビ東京なので新潟では放送されていないので私はTverによる視聴。Tver万歳!)。
私はこの番組が大好きで,かなり重い,悲しい事件をなるべく偏見なく,まじめに取り上げようとしていることに好感を持っている(意見の押し付けがない)。これまで,「虐待」,「ヤングケアラー」,「京アニ放火事件犯人を治療した医者」などのトピックスを扱ってきたが,今回は「あさま山荘事件」がテーマだった。私は恥ずかしながらこの事件のことをほとんど知らなかったのだけれど(役所広司主演の映画も見ていないし,山本直樹の「レッド」も読んでいない),あさま山荘事件以前に若者12人が亡くなった「山荘ベース事件」というものを今回知って,たいへんにショックだった。
なぜ12人もの仲間が死ななければならなかったのか,という点に番組では焦点を当てていて,そこで行われた「総括」という行為を紹介していた。「総括」というのは,自己否定のための儀式であり,いじめである。自己反省という形で自己否定をさせ,集団圧力によって仲間同士で罰しあうという,結局のところ「リンチ」である。
私はここで日本人の特性がこの「総括」に強く表れていると思った。山荘に孤立しながらの小規模の集団生活。厳しい規律と上下関係。革命思想に歪んだ倫理観。そしてその倫理観が自分たちの首を絞めていく。日本人が暴走しやすい条件がそろっていた。結局,ぬきさしならない状況になっていくことは誰もが心の底で思っていたのではないか。でもそのことを指摘できない,指摘したら自分がやられる,まさに現代のイジメと同じ構図ではないのかと考えさせられる。
当時の連合赤軍のメンバーのインタビューもされていて,その現場では誰かが「やめよう」ということができなかったのだという。誰かが死んでいくたびに,彼らの死を無駄にはできない,やめたら彼らに申し訳が立たない,という考えがますますメンバーを締め付けていったのだという。
あまりの悲惨な状況に番組を見ているのがつらくなった。それでも見てしまうのは,現代の若者も全然変わっていないと心のどこかで理解しているからなのだろうと思った。
私が高校生だったころ,学生運動が盛んだった時代の若者は現代の若者よりもずっと大人だと思っていた。しかし,彼らの思想や行動を知ることによって,それは違うのだと思うようになった。当時の若者は単に政治思想にかぶれていただけで,それは一種の大人ぶるというファッションであり,その行動原理などは現代の若者とほとんど変わっていないのだ。行動に出てしまっていたのは,昔の若者の方が接する情報が少なく世界が狭かった分,「純粋」言い換えれば「単純」だっただけなのではないだろうか。今はいろいろな情報を知ることによって少しだけ行動にブレーキがかかるようになっただけなのではないだろうか(洗脳はされやすくなっているかもしれないが)。
今回の番組もいろいろなことを考えさせられた良い内容だった。次回はどんなテーマに切り込むのか期待して待ちたい。
#どうもギャラクシー賞をもらったらしい
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