2024年8月25日日曜日

反復練習の意味

 私は「努力」は嫌いだけれど,「稽古」は大好きである。つらいと感じることも多いけれど,合氣道が好きなので稽古は大好きなのである。

「努力」はしたくない,と私は言っているけれど,決して反復練習を否定しているわけではない。反復練習にはそれはそれで「手続き記憶の深化」と「量質転化」の意義があると思うのだ。

私の考えでは,合氣道においては,「技は正しく行えば誰でもできる」と考えている。「バーベル100kgをあげなければできない」とか,「100mを12秒以内で走らなければできない」という技はない,と思う。そもそも武術の技というものは,肉体的な制約とは関係なく行うことができるものでなければ意味がないと私は信じている。すなわち「強弱」ではなく「正誤」が大切なのである。(そのため,「技ができる」ことと「強い」ということは違うことだと思っている。このことについてはいつか書きたい)

ただし,いついかなる場合においてもその技を正しく行うことができるためには,たとえば自転車の乗り方を身体が覚えるように,無意識に身体が動くように身につけなければならない。すなわち「手続き記憶」である。その深化のためには反復練習が必要であると思う。

一方で,空手における「突き」の反復練習は「量質転化」を引き起こすために必要であると考えている。初めて「突き」を習った人の「突き」は,外から見ていて不安定そうであり,どうも定まっていない。一方,熟練者の「突き」は見ていて気持ちがいいくらいに「決まっている」。同じ「突き」であるのにそこには大きな隔たりがあり,長い稽古期間においてどこかで「量質転化」が起こっているのである。この「量質転化」のためにある程度の反復練習,すなわち「量」をこなす必要がある。何万と「突き」を繰り返すことによって,それを深化させ,必要なタイミングで必要な威力で行うことができるようになるのだ。「千日の稽古を鍛とし,万日の稽古を練とする」という心構えが大切である。

それでは反復練習に必要なものはなにか,というと「飽きずに工夫しながら稽古を続けるマインド」である。そう,反復練習の敵は,すぐに心身が疲労して,ただ動作を漫然と繰り返すだけになってしまうことである。それを克服し,ずっと集中力を維持して稽古を継続するためには,やはり「好き」になることしかないと思う。まさに「好きこそものの上手なれ」なのである。

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