2025年2月24日月曜日

年老いたものの身体の鍛え方はどうあるべきか

 私の身体的なピークは50歳代半ばと思って,50歳くらいまでは稽古してきたけれど,長岡に移ってから全くその目論見は外れている。とにかく稽古時間が少なくなり,また年齢による身体能力の低下により新型コロナやインフルエンザ,その他の病気に対し抵抗力がなくなって,全般的にいわゆる体力が低下したために,もう思うように心身が動かなくなってしまった。よく「錆びつく」という言葉が使われるけれど,うまく言ったものである。まさに私の体は錆びついている。

これからまた稽古には精を出したいと思っているけれど,時間をいかに作るかが課題である。一方,体力をつけるための稽古も年齢を経たために,これまでの力任せの筋肉トレーニングからなんらかの方向に変わっていかなければならない。

一般的に武術的な身体は体幹を鍛えるけれど,いわゆる筋トレはあまり行わないものだと思われている。それが力に頼らない武術であればあるほど,稽古の抽象度は上がっていき,筋トレの重要度は下がっていく。しかし,私はそうとは思っておらず,やはりそれなりに身体は鍛えたいと思っているのである。もちろん精神的な抽象度の高い心法の稽古は武術の根幹をなすものだと思っているけれど,全盛期のマイク・タイソンのように圧倒的な筋力とスピードをもつ相手に「術」が有効であるためには,相当の練度が必要である。それができるレベルは「達人」である(まぁ,私の最終目標である池波正太郎「剣客商売」の秋山小兵衛はそれができる設定になっているけれど)。

なにが言いたいかというと,武術であるためには試合(死合)の場で生き残らなければならず,筋力とスピードがあるものがやはり基本的には強いのであって,抽象論・精神論だけを語る似非武術者にはなりたくない,ということなのである。ゴリラは技を知らずとも強いのである。筋力があるだけで人は強いのである。そうした人たちと戦っても,負けないようになりたい。そうした稽古をしたいと考えているのである。

少なくとも,人をスープレックスで投げられる体力まで復活させたい。また一撃で人を倒せるほどの突きの撃力を相手に伝達できるほど体幹を鍛えたい。そして寝技に対応できる背筋をつけたい。身体の基本的な筋力をまた元のレベルまで戻したい...

ということで,体力ゼロの現状からいかにつけていくのかを考えている。少しずつ少しずつ身体を作っていきたい。うーん,とりあえず空手の型から始めるかな...

2025年2月23日日曜日

最高のオバハン中島ハルコ~マダム・イン・ちょこっとだけバンコク

 疲れた状態で観たいテレビ番組というのは,それなりに限られるものだけれど,今期,そうした数少ない番組の中のひとつが,

「最高のオバハン中島ハルコ~マダム・イン・ちょこっとだけバンコク」(フジテレビ,東海放送)

である。名古屋の美容整形外科医である中島ハルコが,恋愛,家庭,後継ぎなどいろいろな問題を解決していくコメディ物語。大地真央演じるスーパーレディーで,かつ上から目線の中島ハルコが,独特な観点で物語を解決していく。そしてそこに大きく振り回されるフードライターの不惑の女性を松本まりかが演じている。そもそも林真理子原作の小説らしいけれど,テレビ用に内容は大きく変わっているということである。

なぜ気楽に番組を観ていられるかというと,結局のところ番組の建付けが中島ハルコを黄門役とした「水戸黄門」となっているからなのだ。相談をもちこまれた問題を中島ハルコが解決して一件落着,すっきりと番組が終わってくれる。ちゃんと中島ハルコのそばには助さん格さんに相当する2名の事務長と秘書(?)が控えているし。

実は今回で第3シリーズとなる。たぶん人気があるのだろう。物語のフォーマットは「水戸黄門」ではあるが,解決する問題は「ロマンス詐欺」「後継者問題」「地域振興」「国際結婚」など現代的なものであり,それもハルコ独自の価値観から解決されたりするので,面白い。また,第1シリーズは名古屋が舞台で,第2シリーズは岐阜,そして今回はタイも舞台に含まれていて,それぞれ雰囲気が変わって飽きさせない設定になっている。

松本まりかの演技が,シリーズを経るごとにますますコメディよりになっているのがちょっと気にかかるけれど,彼女が語り部役割となっていて視聴者に解説してくれて物語がわかりやすくなっている。また彼女は,第1シリーズで不倫から立ち直り,今シリーズではロマンス詐欺から立ち直り,と不幸のどん底からいつも立ち直っていく物語になっているので,感情移入もしやすく,人気の理由になっているのだろう。

あるとき,名古屋に行った際に,この中島ハルコの舞台のポスターを見かけた。舞台化もされているらしい。大地真央の舞台は華やかだろうなぁ,と観てみたい気がする。

第3シリーズももう半分は過ぎているのだろうけれど,いまから第4シリーズも期待したいものである。深夜に気楽に観られる番組って,生活に案外に大切な役割を果たしているのだ。

#某消費者金融のCMの「今野」役の人も出ていて,ところどころCMをにおわせるメタなネタを入れてくるのも面白い。


2025年2月22日土曜日

身体を動かして心を調える

 この半年以上非常に体調が不良で,心身共に俗にいう不定愁訴が続いていて,パフォーマンスが落ちている。仕事状態も過飽和だったし,健康状態も新型コロナ,インフルエンザ,その他と通院を繰り返す有様だった。

おそらく年齢のせいだとは思うのだけれど,昔みたいに体力がない。そのため,集中力も欠くことになり,仕事の生産性も悪化し,仕事が溜まっていくという負のスパイラルに陥ってしまった。

新型コロナ,インフルエンザなどのために,ストレス発散の合氣道の稽古などにも行けなかったことも体力を落とした大きな原因だろう。

常々,自戒しているのだけれど,人間というのは決して精神だけで存在している高尚な存在ではないと思うことにしている。腹も減るし,眠くもなるし,疲れもする。そうした身体状態はその人の思考に強く影響を及ぼす。体調をまず整えなければ,自分のパフォーマンスも落ちるし,思考傾向もネガティブに陥りやすい。そのことはこれまでの人生で散々学んできた。なのに,ついつい精神状態だけで物事がうまく進むと考えてしまいがちなのである。いまだに。

自分の精神状態にもっと気をつけたい。いまどのような状態にあるのか,その状態は思考にどのような影響を与えているのか,そうしたことに敏感でありたい。そしてそのために,自分の身体の状態を繊細に把握できるようにしたい。呼吸,血圧,疲労などいろいろな観点から身体状態を知るインデックスはあるだろう。スマートウォッチなども良い測定器となるだろう。

中国武術では「調身,調息,調心」が重要視されている。まさに「調心」のために,まずは「調身」が基礎なのである。

2025年2月15日土曜日

スコップとシャベル,そしてショベル

 雪国では,車がスタックしたときのためにスコップ・シャベルが必需品である。私もラゲッジスペースにいつも積んである。さて,みなさんは長柄のこの雪を掘り返す道具をなんと呼ぶだろうか。

スコップ? シャベル?

どうも,どう呼ぶかは地域によって違うらしい。いや,同じ地域でもスコップと呼ぶ人もいるし,シャベルと呼ぶ人もいるようだ。どうもよくわからない。

私は,ガーデニングでよく使われる短い柄のものをスコップと呼び,雪かきに使うような長柄のものをシャベルと呼んでいる。どうも逆に呼ぶ地域もあるらしい。いや,私も気分によって変わっているし。

東西で違うのかとも思ったのだけれど,全国から学生が集まってくる長岡技術科学大学の学生に尋ねてもどうもはっきりしない。またシャベルの先端が丸い場合と平らな場合で使い分けている人もいる。

ネットで調べてみると,JISではっきりと定義されているようだけれど,日常生活においては混在しているようだ。

ふと,気づいたのだけれど,シャベルだって,「シャベル」と呼ぶ人と「ショベル」と呼ぶ人もいる。英語ではShovelらしいので,どちらも通用しそうだけれど,私は雪かき用はシャベル,一方重機はショベルカー,そして必殺技はショベルフックである。

2025年2月9日日曜日

雪かきを繰り返す

 大寒波がやってきた。一日に40~50cmの雪が積もり,人々は朝晩に雪かきを繰り返す。そんな大雪がやってきた。

夜,帰宅のために大学の駐車場に行くと,私の車が雪に埋もれていた。広い駐車場に私の車と隣の車,2台だけが雪にまみれて取り残されていた。遠くから駐車場のオレンジの照明が2台を照らしていた。

雪に埋もれた私の愛車

「やれやれ。雪かきにどのくらいの時間がかかるだろう」と呆れながらも,家に帰るにはやるしかないわけだから,車に常備しているスコップと雪かき棒を取り出し(取り出すためにも雪をかくわけだけれど),屋根の上に積もっている雪から落としていく。

そのうえ,私の車は残念ながら四輪駆動ではないので,雪が地面に積もっているとスタックしやすい。そのため,駐車場から道路までの道のりも雪かきして確保する必要もある。この日も駐車場のほぼ真ん中から駐車場の入り口までの道もスコップでつくる必要があった。

結局,40分。駐車場を出るのに要した。。。

スーパーに寄ってから自宅に向かう。しかし,私が住んでいる住宅への連絡道路は除雪が十分でなく,思いっきりその道路の入り口でスタックしてしまった。タイヤが雪に埋まって,車はもう前にも後ろにも動かない。それから30分,タイヤの周りの雪をスコップで掘り起こし,先に買っておいた「脱出ラダー」なども使ってみたけれど効果なし。どうしようかと途方に暮れかけているところに,「スタックしたのですか?」とジープに乗った若い二人が車から降りてきてくれた。私は事情を話し,一方の人に運転席に乗ってもらって,私ともう一人の人で車を前後から押すことにした。それまでの雪かきの努力もあってかすぐに脱出。本当にありがたかった。どこかで困っている人がいたら,私も押してあげようと思った。

その日,なんとか家にたどり着くことができたが大学の駐車場から要した時間は2時間半。心底ヘトヘトになった。部屋で着替えた頃にはもう日付も回ろうとしていたけれど,その後温かいお風呂に入ってリラックス。たいへんな夜だった。

朝起きて住んでいる住宅の駐車場で車を出すために雪かきをし,大学に着いて駐車スペースを確保するために駐車場の雪かきをし,夜,帰宅しようとして車を駐車場から掘り出すために雪かきをし,そして住宅の駐車場に着いて車を駐車するために自分の駐車スペースをまた雪かきする。寒波が続き,積雪が続く限り,この作業は繰り返されるのだ。

村上春樹は,誰が書いても良いような文章を書く仕事を「文化的雪かき」と呼んだ。しかし,この雪国の雪かきはフィジカルな「雪かき」である。誰がやっても良いけれど,雪かきした人には,疲労と(腰の)痛みを伴う。

2025年2月8日土曜日

マーラー 第8番交響曲

 このブログではときどき音楽について記事を書くけれど,意外にもマーラーの作品に関する記事が少ないことに我ながら驚く。こんなにマーラーの音楽を聴いているのに。

最近,テレビのCMでマーラーの第8番交響曲が流れているのに驚いた。マーラーという音楽家は有名だけれど,8番交響曲はかなりマイナーな気がするからだ。

この交響曲は別名「千人の交響曲」などと言われ,大編成のオーケストラと合唱団で演奏されるので本当に千人近い演奏者が必要となるのだ。そのため演奏機会が本当に少ない。CDの録音も他のマーラーの作品に比べぐっと少ないので,そもそも演奏を耳にする機会が少ないのである。

マーラーでさえもこの曲について,自分の作品の中で最大のものだ,と言っているし,「大宇宙が鳴動する」とまで言っている。とにかくスケールがでかいのである。

曲は2部構成なのだけれど,第1部冒頭からオルガンが鳴り響き,「来たれ、創造主たる聖霊よ!」とドカーンと歓喜の大合唱から曲が始まる。最初聴いたときにはびっくりした。レナード・バーンスタインの演奏の映像が残っているけれど,やっぱりレニーは指揮台の上で飛び跳ねている。とにかくすごい圧力なのである(この部分がCMで使われている)。

そのまま曲は盛り上がっていき,第1部が終了する。第2部は,ゲーテのファウストをもとに歌が入り,比較的落ち着いているけれど,曲が長い。1時間弱ある(第1部とあわせると演奏に90分程度要する。CDは通常2枚組)。正直をいうと途中で飽きてしまうこともしばしばである。でもマーラーのポジティブな部分は,彼の人生においてこの曲でピークに達していることは良くわかる。

そして,やはり難解である。私は複数の録音を所有しているけれど,バーンスタインやガリーニ,テンシュテット,ネーメ・ヤルヴィ,インバル,ショルティ,そして小澤などの録音ではどうもすっきりしなかった(レニーのものは迫力は凄いけれど)。それが,ブーレーズの録音を聴いたときに,ようやくいくつかの部分がすっきりと聴けたのである。だから,もしもこの曲を初めて聞くという人には,ぜひブーレーズの録音をおススメしたい。正直,好き嫌いがはっきりする曲だと思うので,マーラー初心者の人はもっと耳にやさしい第1番か第5番の交響曲をお勧めしたい。

2025年2月2日日曜日

抵抗心を起こさせない心理的誘導 (2)~心理誘導~

合氣道の流麗な技は相手に抵抗心を起こさせないから可能となるという話をした。相手の氣を導いて技を行っている途中で相手が抵抗心を起こしたら技は成立しなくなる。いかに相手に抵抗心を起こさせず,導くことができるか,それが重要なポイントとなる。

日常生活のコミュニケーションにおいても合氣道と同様のことが言えると私は考えている。相手の心に抵抗心を起こさせず,いかに喜んでついてきてくれるように導けるか。そのように相手の心を誘導する技法について私は常々考えている。喜んで協力してくれるような状態に常に導くことができれば,チームとして最高の能力を発揮できるはずである。

そのために心理的な誘導をする場合,コミュニケーションの最中に相手に抵抗心を起こさせないようにすることが肝要である。心理的な誘導も同様。反発心,疑念を持たせるとだめである。一番良いのは誘導されているとわからないように誘導すること。争う機会がない。占い師も客が疑念を持ち始めたらもう終わりである。

ではどうやったら相手に抵抗心を起こさせないことができるのか。

まず話の内容が大切である。相手にとってのメリット,デメリットを理解してもらい,疑問点,不安が無いようにする。継続した協力をお願いするにはこの内容の理解は欠かせない。

次に内容の伝え方である。相手にネガティブな感情を起こさせないようなコミュニケーションが重要である。

1. 表情:顔が笑顔でなく緊張した表情であったり,眉をひそめたり吊り上げたりしていると,相手は何が始まるのだろうと身構えてしまう。つまり抵抗心が生まれる。リラックスした表情で話をしたいものである。

2. 姿勢:前のめりで話をされたらどうだろう。やはり身構えてしまうのではないだろうか。俗にいう「けんか腰」というものである。表情に比べて人間の姿勢はその人の感情を伝えやすい。

3. 内容の説明の仕方:コップの中に水が半分満たされている。「半分しかない」と説明すればネガティブに受け取られてしまうだろう。「半分ある」あるいは「半分もある」と説明するとニュアンスが変わってくる。人間は不安から解放された状態にある方が能力を発揮できる。ポジティブに伝えることが大事であると考えている。

4. 口調,声の質,身体などノンバーバルな伝達方法には特に注意が必要である。コミュニケーションがうまくいっているという雰囲気をつくるためには,話す内容よりもこうした言葉以外のコミュニケーションが重要である。腹が立っていることをすぐに表情や姿勢,声の高さ,話すスピードなど,表面に出してしまう癖は直したいものである。

5. 一つの方法として,相手を誘導しているという自分の意図が伝わらないようにコミュニケーションをすることもある。これこそが心理誘導で最も効果的なのではないだろうか。武道だったら,攻撃する前に自分の意図・気配が相手に伝わってしまったらダメである。いつのまにか,私の話に引き込まれている。そんなコミュニケーションが最も効果的だと思っている(現代催眠に近い話だけれど)。

つまりは,武道における立ち合いというのは究極のコミュニケーションであって,それをもとに考えれば,日常生活のコミュニケーションに応用できるということなのだ。もちろん,私は修行中なので,自分の思う通りにはコミュニケーションが持てていません。あしからず。。。


2025年2月1日土曜日

抵抗心を起こさせない心理的誘導 (1)~心身統一合氣道~

私が稽古している心身統一合氣道にはいくつかのプリンシプルがあって,それに基づいて技を行うのだけれど,そのひとつに「争わざるの理」というものがある。

合氣道の演武をみると八百長にしか思えない技が数多くみられるが(本当に八百長もあるけれど),それはこの「争わざるの理」に従って技を行っているからに他ならない。私が稽古している合氣道では「相手の氣を導いて」技を行うことになっている。すなわち,相手の思うように攻撃させてあげるから(氣を尊んで導くから),技が成立するのである。

もちろん,相手の攻撃にはあたらないことが前提で,こちらがそれを導いてよけるわけなのだけれど,基本的に相手は(よけられるけれど)私を攻撃しようとする欲求を満たすことなるので,相手は私を攻撃している最中には(たとえば私を殴ろうとしてこぶしを振り上げておろす間には)別の攻撃をしてこないのである。その間に技を行う。これをアメリカンファイティングスタイルのように,相手が右手で殴り掛かってくるのをこちらの左手で止めると,当然その瞬間相手は左手を出してきて,いつまでたっても相手の攻撃はおさまらないことになる。私も攻撃を受けるのに精一杯でいつかはスキができてしまう。

相手の攻撃を受け止める,すなわち遮ると相手の次の攻撃がやってくる。相手の心に瞬間的な抵抗が生まれるからである(ほぼ格闘技の稽古によって無意識に次の攻撃が繰り出されるのでその心の働きは察知することは難しいけれど)。

合氣道の「争わざるの理」とは,この抵抗心を相手に起こさせないという意味も含まれているのではないかと私は思っている。相手の心を汲んで氣を導き,この抵抗心が相手に生じない限り,相手はよろこんで私についてきてくれる。だから合氣道の技が成立するのである。

またこのような技を行う限り,相手は反撃する機会を失ってしまう。結局,何をされたかわからないうちに投げられてしまうのである。その結果,道場の稽古だと相手は投げられると何をされたのかわからなくなるで,思わず笑ってしまうのである。

このように正しい合氣道の技が行われているのであれば,無理を通したゴツゴツとした技はありえない。そもそもゴツゴツとした技では,力と力のぶつかりあいがどこかにあるので,筋力などに大きな差があれば,技が成立しないのである。それをごまかすためには当身を多用することになる。(もちろん,私は有効な攻撃として当身を否定するものではない)

藤平光一先生が,280 kgの石を投げることはできないが,280 kgの相撲力士であれば投げることができる。それは心があるからだ,とおっしゃっていた。抵抗心を起こさせず,氣を導けば合氣道の技が可能となるということだろう。

合氣道の流麗な演武は,攻撃をする相手に抵抗心を起こさせずに導くから可能となるのである。

偽りの記憶

 リバイバル上映をしている 映画「Love Letter」を,シネスイッチ銀座で観たという話 を書いた。しかし,文章を書いているうちに,その記憶が本当のものなのか,偽りのものなのか,自信が持てなくなってきた。 調べてみると「Love Letter」のシネスイッチ銀座での上映期間は...