2025年2月2日日曜日

抵抗心を起こさせない心理的誘導 (2)~心理誘導~

合氣道の流麗な技は相手に抵抗心を起こさせないから可能となるという話をした。相手の氣を導いて技を行っている途中で相手が抵抗心を起こしたら技は成立しなくなる。いかに相手に抵抗心を起こさせず,導くことができるか,それが重要なポイントとなる。

日常生活のコミュニケーションにおいても合氣道と同様のことが言えると私は考えている。相手の心に抵抗心を起こさせず,いかに喜んでついてきてくれるように導けるか。そのように相手の心を誘導する技法について私は常々考えている。喜んで協力してくれるような状態に常に導くことができれば,チームとして最高の能力を発揮できるはずである。

そのために心理的な誘導をする場合,コミュニケーションの最中に相手に抵抗心を起こさせないようにすることが肝要である。心理的な誘導も同様。反発心,疑念を持たせるとだめである。一番良いのは誘導されているとわからないように誘導すること。争う機会がない。占い師も客が疑念を持ち始めたらもう終わりである。

ではどうやったら相手に抵抗心を起こさせないことができるのか。

まず話の内容が大切である。相手にとってのメリット,デメリットを理解してもらい,疑問点,不安が無いようにする。継続した協力をお願いするにはこの内容の理解は欠かせない。

次に内容の伝え方である。相手にネガティブな感情を起こさせないようなコミュニケーションが重要である。

1. 表情:顔が笑顔でなく緊張した表情であったり,眉をひそめたり吊り上げたりしていると,相手は何が始まるのだろうと身構えてしまう。つまり抵抗心が生まれる。リラックスした表情で話をしたいものである。

2. 姿勢:前のめりで話をされたらどうだろう。やはり身構えてしまうのではないだろうか。俗にいう「けんか腰」というものである。表情に比べて人間の姿勢はその人の感情を伝えやすい。

3. 内容の説明の仕方:コップの中に水が半分満たされている。「半分しかない」と説明すればネガティブに受け取られてしまうだろう。「半分ある」あるいは「半分もある」と説明するとニュアンスが変わってくる。人間は不安から解放された状態にある方が能力を発揮できる。ポジティブに伝えることが大事であると考えている。

4. 口調,声の質,身体などノンバーバルな伝達方法には特に注意が必要である。コミュニケーションがうまくいっているという雰囲気をつくるためには,話す内容よりもこうした言葉以外のコミュニケーションが重要である。腹が立っていることをすぐに表情や姿勢,声の高さ,話すスピードなど,表面に出してしまう癖は直したいものである。

5. 一つの方法として,相手を誘導しているという自分の意図が伝わらないようにコミュニケーションをすることもある。これこそが心理誘導で最も効果的なのではないだろうか。武道だったら,攻撃する前に自分の意図・気配が相手に伝わってしまったらダメである。いつのまにか,私の話に引き込まれている。そんなコミュニケーションが最も効果的だと思っている(現代催眠に近い話だけれど)。

つまりは,武道における立ち合いというのは究極のコミュニケーションであって,それをもとに考えれば,日常生活のコミュニケーションに応用できるということなのだ。もちろん,私は修行中なので,自分の思う通りにはコミュニケーションが持てていません。あしからず。。。


2025年2月1日土曜日

抵抗心を起こさせない心理的誘導 (1)~心身統一合氣道~

私が稽古している心身統一合氣道にはいくつかのプリンシプルがあって,それに基づいて技を行うのだけれど,そのひとつに「争わざるの理」というものがある。

合氣道の演武をみると八百長にしか思えない技が数多くみられるが(本当に八百長もあるけれど),それはこの「争わざるの理」に従って技を行っているからに他ならない。私が稽古している合氣道では「相手の氣を導いて」技を行うことになっている。すなわち,相手の思うように攻撃させてあげるから(氣を尊んで導くから),技が成立するのである。

もちろん,相手の攻撃にはあたらないことが前提で,こちらがそれを導いてよけるわけなのだけれど,基本的に相手は(よけられるけれど)私を攻撃しようとする欲求を満たすことなるので,相手は私を攻撃している最中には(たとえば私を殴ろうとしてこぶしを振り上げておろす間には)別の攻撃をしてこないのである。その間に技を行う。これをアメリカンファイティングスタイルのように,相手が右手で殴り掛かってくるのをこちらの左手で止めると,当然その瞬間相手は左手を出してきて,いつまでたっても相手の攻撃はおさまらないことになる。私も攻撃を受けるのに精一杯でいつかはスキができてしまう。

相手の攻撃を受け止める,すなわち遮ると相手の次の攻撃がやってくる。相手の心に瞬間的な抵抗が生まれるからである(ほぼ格闘技の稽古によって無意識に次の攻撃が繰り出されるのでその心の働きは察知することは難しいけれど)。

合氣道の「争わざるの理」とは,この抵抗心を相手に起こさせないという意味も含まれているのではないかと私は思っている。相手の心を汲んで氣を導き,この抵抗心が相手に生じない限り,相手はよろこんで私についてきてくれる。だから合氣道の技が成立するのである。

またこのような技を行う限り,相手は反撃する機会を失ってしまう。結局,何をされたかわからないうちに投げられてしまうのである。その結果,道場の稽古だと相手は投げられると何をされたのかわからなくなるで,思わず笑ってしまうのである。

このように正しい合氣道の技が行われているのであれば,無理を通したゴツゴツとした技はありえない。そもそもゴツゴツとした技では,力と力のぶつかりあいがどこかにあるので,筋力などに大きな差があれば,技が成立しないのである。それをごまかすためには当身を多用することになる。(もちろん,私は有効な攻撃として当身を否定するものではない)

藤平光一先生が,280 kgの石を投げることはできないが,280 kgの相撲力士であれば投げることができる。それは心があるからだ,とおっしゃっていた。抵抗心を起こさせず,氣を導けば合氣道の技が可能となるということだろう。

合氣道の流麗な演武は,攻撃をする相手に抵抗心を起こさせずに導くから可能となるのである。

抵抗心を起こさせない心理的誘導 (2)~心理誘導~

合氣道の流麗な技は相手に抵抗心を起こさせないから可能となるという話をした 。相手の氣を導いて技を行っている途中で相手が抵抗心を起こしたら技は成立しなくなる。いかに相手に抵抗心を起こさせず,導くことができるか,それが重要なポイントとなる。 日常生活のコミュニケーションにおいても合氣...