2026年6月28日日曜日

ダビンチ休刊に思う

 本の雑誌「ダビンチ」が今秋に休刊するそうである。私も薄々予感していたから,とうとうそのときが来たか,と思っている。

なぜ休刊を予感していたかというと,やはり読書人口の減少である。まず私自身が本を読まなくなってしまった。最後に小説を読んだのがいつのことなのか,全然思い出せない。村上春樹の短編小説も長編小説も部屋の片隅に積読状態である。

まして新しい作家の作品に触れてみようなんていう気持ちにはなかなかなれない。結局は時間不足なのだ。

以前は,「次に読む本」を探すことはひとつの冒険だった。新しい作家に出会うことにワクワクしていた。そして,その冒険の羅針盤のひとつが「ダビンチ」だった。ネットで本を購入することに比べ,リアルな書店で本を探すことの良さは,「本との思いがけない出会いがあることだ」,とよく言われるけれど,そのときの判断基準はだいたい「書店のポップ」や「本の装丁」,もっというと「背表紙のタイトル」くらいのものである。それらだとちょっと頼りない(書店のポップは意外にあてになるけれど)。それを補うものが新聞の書評欄であり,本を紹介してくれる「ダビンチ」であった。

ダビンチは,毎号あるテーマにしたがっていろいろな本を紹介してくれていて,新聞の書評欄とは違う親しみやすさがあった。文芸書であっても高尚なものとはせず,エンターテインメントとして扱ってくれた。そのカジュアルさが好きだった。

しかし,最近は書店で棚に並んでいるのを見ると,「誰が買うのだろう?」と正直思っていた。私は時々購入していたけれど,内容を見ても現代の若者(特に私の周りの大学生など)が買いたいと思うものではないように感じていた。

現代の若者はとにかく時間が足りないのだ。小説を読む時間があったら,ネットで動画を見る,あるいはゲームをする。小説を読むための環境,すなわち,「時間」「静かな環境」「集中力」などの条件が若者には不足しているのだ。

小説がふたたび力を取り戻すためには、やはり小中学校の頃から「腰を据えて活字を読む」という環境に触れ、小説を読むことの豊かさを体感する訓練が必要なのだろう。それがどれだけ難しいか,理解しているけれど。

小林秀雄が言っていた(うろ覚えだけど)。「難しい言葉でしか伝えられない難しいことがある」と。小説や随筆などを読むことは,人生で大切なことを理解するための大事な訓練なのだ。時間の効率性にこだわらず,本を読むという贅沢な時間の使い方を体験する機会を,幼いころから持たせてあげたいものである。


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