2018年4月3日火曜日

準備がすべて

私が稽古している合氣道から学んでいることは技に限らず数多くあり,それは人生に関する大きなことから,日常全般に通じる非常に身近なものまであるのだけれど,今日は私が特に大切にしている言葉について書いてみたいと思います.

合氣道の師範から教えていただいたのは
「段取り八分」
という言葉です.つまり物事がうまくいくかどうかは準備をどれだけ万全にしているかによる,ということです.別の言い方をすれば,
「成功は準備がすべて」
ということになります.この言葉は日本ラグビーでワールドカップで奇跡の南アフリカ戦勝利を導いたエディ・ジョーンズ氏も述べています.

私はこの言葉を座右の銘としたいと考えているのです.

準備の大切さについては,いろいろな人が言い及んでいて,たとえば楽界の帝王であったヘルベルト・フォン・カラヤンも,「リハーサルが十分にできない演奏会ほど苦痛なものはない」と述べているし,プロ野球選手のイチローは「準備は言い訳をしないために行う」というような意味の言葉を残しています.結果について言い訳をしないために,100%の努力をするわけです.これができる人がプロフェッショナルということなのでしょう.

シェイクスピアも実は同じことを戯曲「ハムレット」の中でハムレットに言わせているらしいです.

"The readiness is all" (Hamlet)

400年以上も前から真理は不変なのです.なにに対しても準備を怠らず,言い訳することなく生きていきたいものですね.

2018年4月2日月曜日

2018年のエイプリルフール

昨日(4月1日)に書いた内容は,かなりしょっぱかったですが,エイプリルフールの冗談です.THDで髪の縮れ具合を話す女の子なんていくらなんでもいません.


来年こそもっと素敵なウソがつけるよう「ウソ道」に邁進いたします.

これまでのエイプリルフールのウソ

2018年4月1日 髪の毛のTHD
2017年4月1日 パワーエレクトロニクス・ソフトスイッチング技術に関わる二法則
2016年4月1日 地球を利用した無線電力伝送システム
2011年4月1日 パワエレの系統
2010年4月1日 電力の産地指定購入
2009年4月1日 人間の共振現象
2008年4月1日 夜中の台所にて,パワーエレクトロニクスの音色に耳を澄ます

2018年4月1日日曜日

髪の毛のTHD

ある一部の専門分野の特別な用語が一般で使用されるようになった例はいくつもある.
たとえば,刀剣に関わる言葉だけれども「反りがあわない」とか,「切羽詰まる」なんて普通の人も使っている.「鎬を削る」なんて言葉ももはや一般化していると思われる.

同様に,電気の世界の専門用語が一般化されていくこともあるかもしれないと思う出来事があった.

ついこの間のこと.ある電気の学会で女の子同士の会話が耳に入ってきた.

「朝から髪のTHDが高くって...」

THD?
それって,電圧や電流の波形が正弦波からどれだけひずんでいるかを示す指標のことか?とピンと耳をそばだてた.

THDとは,Total Harmonic Distortionの略語で,総合ひずみ率のことである.パワーエレクトロニクスなどの分野では普通に使われる指標で,この値が低ければ低いほどなめらかな正弦波に近いということを示す.

すなわち,その女の子は自分の髪の毛が朝から思い通りに真っ直ぐにならず,ちょっと縮れていたということを言いたかったのだろうと思われる.たぶん外を歩くには,THDは5%以下が望ましいのだろう.

とにもかくにも珍しい言葉の使い方だなぁとは思ったのだけれど,同時にこの専門用語が一般化することはあるまいとも思ったのである.

#つづきはこちらへ


2017年11月30日木曜日

ブリット: S.マックイーンの着こなしのカッコよさ

中高生の頃,雑誌メンズクラブではジェームス・ディーンがカッコいい男として紹介されていることが多かったように思う.白いTシャツとジーンズとか.しかし,たまにスティーブ・マックイーンの着こなしが紹介されることがあった.当時私は,S.マックイーンをそれほどカッコいいと思ったことはなく,どうしてこんな俳優をもち上げるのだろうかと思っていたのだけれど,今回この映画を観て考えをすっかり改めた.

「ブリット」(Bullitt)(1968年)

とにかく,S.マックイーンがカッコいい.昔はなぜカッコいいと思わなかったのだろう.そういえば,父親が彼を褒めていたっけ.父親のほうが男をみる目があったということだ.

警部補であるブリットは上院議員から依頼された裁判の重要証言者ロスの保護に失敗し,彼を殺し屋に殺されてしまう.しかし,殺されたロスの不可解な行動に疑問を持ったブリットは事件の真相に迫っていくという話.主人公は全く笑わない.ハードボイルドの極北ともいうべき男の映画である.

有名なのは,サンフランシスコ(坂の街で有名だ)の坂を利用したフォード・マスタングとダッジ・チャージャーとのカーチェイス.車の運転手目線で映像が撮られているために,斜面の揺れで車酔いになってしまいそうな迫力である.カースタントとS.マックイーンが運転しているのだけど(マックイーンはカーレーサーでもあったから),これをCGなしで撮影しているのだから,たいへんなものである.一度みたら忘れられないシーンになる.

ブリットの着ているものも確かにカッコいい.ブルーのシャツに茶色のスーツ,そしてカーキのステンカラーコートなんて定番中の定番だけれど,彼が着ると一ランク上のものになる.私が好きなのは,最後の空港での追跡シーンで黒のタートルに,拳銃のホルスターをつけて走るところである.彼はこのとき38歳くらいで,そろそろ男の渋さが漂っているころなのだけれど,黒のタートルが若々しくて素敵である.

マックイーンのクールさは評判通り.他の映画は観ていないけれど,この一本は彼のかっこよさの頂点だと言われている.そういわれても全く疑いをもつことはない.それくらい素晴らしい.

ラスト,ブリットは事件にケリをつけて愛する人のもとに帰る.途中で喧嘩をしたけれど彼女はちゃんとブリットの部屋に戻っていた.それがこの作品の救いである.それがなければあまりにもドライ,あまりにもクールな映画である.

2017年11月2日木曜日

ジェネレーションに横たわる深い淵

「ブレードランナー2049」が,ぜひ観たくてたまらない.
この連休中に観に行きたいくらい.

なぜって,あの前作「ブレードランナー」の続編なんだし.デッカードとレイチェルが,あのあとどうなったか知りたくないの?

などと,学生に言ったら,「ブレードランナー」ってなんですか?と訊かれた.私の驚いた顔を見て,その学生は「す,すみません.僕はそっち方面苦手なんです」という.

いやいや,そんなことは責めていない.私が驚いたのは,私と同世代にとって「ブレードランナー」なんて,たとえ映画は観ていないくてもレプリカントが出て来る近未来SF映画だと常識的に知っていたものである.

公開よりはずっとあとだけれど,私が大学に入ったばかりのころの86年,87年あたりは「ブレードランナー」の世界が若者たち・文化人たちにかっこいいと思われていた.私もデッカードのハードボイルドさにはずいぶんと影響されていた.

カフェバーに行けば無国籍風の暗い店内で,ディスプレイからはなにかしらビデオが流れていたし(そのビデオがたまに「ブレードランナー」だったりする),時代の最先端の流行には「サイバーパンク」があり,ディズニーの「トゥモローランド」のような夢の未来像はもう古臭くなっていた.そして間違いなく「ブレードランナー」がそれらの流行のオリジンのひとつとしてあったし,それは若者文化の常識だった.

「攻殻機動隊」だって,「トータル・リコール(2本目の方)」だって,みんな新しいんだか,古いんだかわからない,あやしい街の風景だったでしょ.あれって,「ブレードランナー」以降の未来観だよね.

的なことをいっても,いまの若者相手には通じない.それがいまでは普通だからだ.手塚治虫的な未来こそがめずらしく思えるのだろう(それまでの私たちにとっての未来の街はそびえ立つビルの間をチューブの中を車が走っているものだった.あるいは核戦争で荒廃した世界だった)

前作の公開が82年だというから35年も前の作品だ.35年も経てば私たちの常識だったことも,そうでなくなることもあるだろう.いまの学生と私の間には深い深い溝があるのも仕方ない.




2017年11月1日水曜日

葛根湯がおいしい

どうも風邪をひいたらしい.
つよい寒気がする.最近急に寒くなったせいか,身体が対応できなかったのだろう.頭痛,筋肉痛,鼻水,のどの痛みと,どれもひどくはないけれど典型的な風邪の症状が出ている.昨晩は早く寝たのでずいぶん今朝は楽になったけれど,やっぱり風邪なので身体が重い.今日も早めに帰ることにしよう.

風邪のひき始めには,私は「葛根湯」をよく飲む.身体も温まり,楽になるので愛飲(?)しているのだけれど,実は私はこの味が好きなのである.そんなことをいうとだいたい周りの人に変な顔をされるのだけれど,この苦くて甘い漢方薬が大好きなのである.たとえていうならばプリンにかけるあのカラメルのような感じである.ちょいニガの甘さが気に入っている.許されるならば,顆粒のものを何袋も飲みたいくらいである.

いろいろなメーカの出している葛根湯を試しているけれど,どれもうまい.苦さや甘さに差は確かにあるのだけれど,やはり葛根湯は葛根湯の味がして,飲むと落ち着く味である.私はちょっと苦味の強いものが好きなのだけれど.

ただこれまで葛根湯を飲みすぎたためか,効き目が一般的な感冒薬にくらべて弱い気がする.そこが少し残念.葛根湯を飲めば,汗がわっと吹き出して,あっという間に熱が下がって,身体が楽になるということであればいいのに.まぁ,これくらいの穏やかな効き方だから人の身体にやさしく,私も安心して飲むことができるのかもしれないけれど.

ということで,寒気はまだ続いていて,この昼にも葛根湯を飲んだ.食後のコーヒー代わりにその苦さを楽しんだ.これでまたマイルドに身体が楽になるだろう.でも結局のところ,風邪に効く薬はなく,身体を温めて,睡眠時間をたっぷりととるしか治す方法はないのはよくわかっている.

2017年10月19日木曜日

かもめ食堂ふたたび

映画「かもめ食堂」を再び観た.

前に観たのは2006年3月.公開初日に梅田のシネ・リーブルだったかに観に行った覚えがある.どの回も満員で,仕方なく夜の9時過ぎの回を観た.若い女性で一杯だったけれど(もちろん私は独り),そのときはヒットするなんてあまり思わなかった.面白かったことは面白かったのだけれど,ほのぼのとしたハートフルドラマという感じでそんなに派手な映画じゃないし,まだ小林聡美の人気もそれほど高くはなかったから(この映画で大変な人気となったけど).

そのときは,小林聡美演じる主人公「さちえ」に共感したものである.フィンランドという異国の地に,足をつけてしっかりと毎日を生きている彼女が素敵にみえた.あんな生き方をしてみたいなんて思った.

それが今回心惹かれたのは,もたいまさこ演じる「まさこ」である.彼女は20年の両親の介護を終え,なぜかフィンランドにやってきた女性.しかし,やってきたものの空港に荷物が届かず,かもめ食堂でしばらくお世話になるという設定.「さちえ」から,届かない荷物の中に「たいへんですね,だいじなものも入っているでしょうに」と言われて,「だいじなもの...」となにが入っていたかを思い出せないような仕草をみせる(セリフうろ覚え).今回いちばん心に残ったのはこのシーン.自分の大事なものってなんなのか.この問いへの回答って結構むずかしい.彼女の両親介護の生活の中で大事なものはなんだったのか,考えてしまう.そして,彼女はボーッとするために森に行き,きのこ狩りをする.そこで彼女の何かが変わったような気がする.彼女は主人公やもうひとりの中心人物である片桐はいりの役と異なり,この映画の中で人生の転機を迎えることとなった.そういえばこの映画では彼女だけに不思議な事が起こる.監督も彼女に特別の思い入れがあったのかもしれない.

そんな彼女たちが素敵に生きている映画.なんどみても元気が出てくる.いまならヒットしたのもよく分かる.ときどき思い出したように観たくなる映画である(風景も本当に素晴らしいし).

この映画のあと,片桐はいりはこの映画の撮影について本を書いている.よっぽど楽しかったのだろう.その楽しさが画面からあふれているような気がする.

#ちなみに私はコピ・ルアックのコーヒーはまだ飲んでいない

2017年10月18日水曜日

スニーカーも好きなものが履きたい

スニーカーブームである.
ずいぶん前にナイキのエア・ジョーダンとかが流行った時代もあったけれど,今はもっとお洒落になっている気がする.気がつけば学生も素敵なスニーカーを履いている.女子もスニーカーの人が多い.昔に比べてカラフルなスニーカーが多くなっているようだ.

学生の頃も私はスニーカーに憧れていた.映画「ビバリーヒルズ・コップ」でエディマーフィーが履いていた白地に緑のラインのアディダス・カントリーがカッコよかった.ちょっと買えなかったけれど.RUN DMCのアディダス・スーパースター.紐を通さずに履くのが流行っていたっけ.そして私の周りで良く見かけたのがアディダスのスタン・スミス.最近も相変わらず良く見かける.緑もネイビーも,そしてグレイもいい.私はネイビーを履いていたかな.K-SWISSも履いていたけれど,重くてたいへんだった.

そのうちテニスシューズだけではなくて,ランニングシューズも日常で履かれるようになってきて,ニューバランスもよく履いた(最近は,あのNマークがダサく見えてしまって履きたくなくなってきたけれど).オニツカタイガーの黄色にブルーのラインのカリフォルニアなんて本当にかっこよく見えたけど,実際に履く勇気はなかったな.

まぁ,無難なところでいくと,コンバースのバスケットシューズや,そしてケッズのチャンピオンのキャンバス地のスニーカー.トップサイダーのデッキシューズも流行った.

これまでそんなに高価でないスニーカーをあげてきたけれど,シリコンバレーの社長たちは革靴を履かずにスニーカーを履くのがステータスらしい.さすがに値段が高いものが多い.昨日,テレビでスーツにスニーカーを履くニューヨーカーたちのニュースを見たけれど,さすがにそれは通勤時だけではないのだろうか.会社に革靴を用意しておくのではないかと思う.やっぱりダサく見えるし.

私もだいたいがスニーカーで過ごしたいと思っている人間なので,もう少しスニーカーの数を揃えたい.高級なものは要らないから,気楽に履けてウオノメができないやつが欲しい.50のオジサンが履いていても恥ずかしくないような(学生みたいなことを言っている).

2017年10月9日月曜日

成田空港にてラーメンを食したこと

今週,日曜日から木曜日までアメリカ・シンシナティで開催されていたパワーエレクトロニクスの国際会議ECCEへの参加を終え,成田空港に到着した.伊丹までの乗り換え便の待ち時間に,久しぶりにラーメンが食べたくなって,4Fの専門店に寄った.ラーメンが食べたくなるなんて,最近ではめずらしい.

海外旅行へ行くとすぐに日本食が恋しくなる人がいる.でも,私は違う.少なくともアメリカで食事にはあまり頓着しない.今回の出張でも毎日ハンバーガーやステーキなど「肉」を食べ続けていたけれど,お米が恋しいなんて一度も思わなかった(アメリカの飯はまずい,と思ったことは何度かあったけれど).

学生の頃,カナダとアメリカを約一ヶ月間,旅したことがある.それぞれの国で開催される2つの国際会議に参加するためであったけれど,途中2週間ほどは宿も予約しないで,ロス,シカゴ,ボストンを移動した.向こうでクレジットカードが使用額上限に引っかかってしまい使えなくなったこともあって(海外旅行のために学生の使用上限をあげておく手続きを忘れていた),本当に貧乏旅行で,安ホテルやユースホステルを泊まり歩いていた.だから毎日の食事も簡素なものばかり.サンドイッチやバーガーなどを食べていた.でも,そんな一ヶ月でも全然日本食が恋しいとは思わなかった.毎日リンゴをかじったり,マフィンを水でお腹に流し込んでいたりしたけれど,味噌汁が飲みたいとか,醤油味が食べたいなんて思わなかった.まだ私も若くて,毎日の刺激だけで好奇心が満たされていたからかもしれない.

その後就職してからも,海外で日本食が食べたいと思ったことはほとんど無いと思う.まぁ,空港で他に食べるものがなくうどんを食べたことはあったけれど.

でも今回,成田空港で久しぶりにラーメンが食べたくなった.もちろん,食べたら美味しかった.こんなことって私にとってめずらしい.これも年齢のせいかとも思う.今回の出張でも感じたのだけれど,私もやっぱり日本人で海外の別の文化との感覚の違いを強く感じるようになってきている.これは逆に日本の文化に敏感になってきているからなのかもしれない.そうした感性がラーメンを食べたくさせたのかもしれない.

2017年9月10日日曜日

国師三喚

無門関の「国師三喚」という禅の公案がある.
詳細は無門関の原文を参照していただくとして,
だいたいの話の内容は次のとおりである.

高僧が侍者を三度呼んだ.侍者は三度返事を返したという.
そこで高僧は「自分がおまえに背いていたと思っていたけれど,
おまえが私に背いていたのか」と言ったという.

これだけの話である.
しかし解釈はさまざまで,私もどう考えるのが良いのかわからない.
ただ,侍者は三度返事を返したということなのだけれど,
その三度の返事に違いはあるのか,という議論がある.

当然2度目の返事は1度目と違うはずで,侍者の心のありようが
変わっているはずである,と.
そして当然3度目はさらに心が変わっているはずだと考え,
その侍者の心の変化について,いろいろな解釈が示されている.

しかし,私はこう思う.
3度の返事はすべて同じではないか,と.
2度目の返事においても,3度目の返事においても,
心をまっさらにして応えた一度目の返事と同様に,
侍者は変な考えをもたずに応じるというのが理想ではないだろうか.

常に初心に戻って,100%の心持ちで対応する.
同じ稽古をなんど繰り返しても,心を新たにして臨む.
これこそが武道における心の在り方ではないのかと思うのである.

合氣道の講習会に参加し,この話を思い出した.
同じことを繰り返すにしても常に心新たに
100%の集中でことにあたるようにしたいと思う.