2017年9月10日日曜日

国師三喚

無門関の「国師三喚」という禅の公案がある.
詳細は無門関の原文を参照していただくとして,
だいたいの話の内容は次のとおりである.

高僧が侍者を三度呼んだ.侍者は三度返事を返したという.
そこで高僧は「自分がおまえに背いていたと思っていたけれど,
おまえが私に背いていたのか」と言ったという.

これだけの話である.
しかし解釈はさまざまで,私もどう考えるのが良いのかわからない.
ただ,侍者は三度返事を返したということなのだけれど,
その三度の返事に違いはあるのか,という議論がある.

当然2度目の返事は1度目と違うはずで,侍者の心のありようが
変わっているはずである,と.
そして当然3度目はさらに心が変わっているはずだと考え,
その侍者の心の変化について,いろいろな解釈が示されている.

しかし,私はこう思う.
3度の返事はすべて同じではないか,と.
2度目の返事においても,3度目の返事においても,
心をまっさらにして応えた一度目の返事と同様に,
侍者は変な考えをもたずに応じるというのが理想ではないだろうか.

常に初心に戻って,100%の心持ちで対応する.
同じ稽古をなんど繰り返しても,心を新たにして臨む.
これこそが武道における心の在り方ではないのかと思うのである.

合氣道の講習会に参加し,この話を思い出した.
同じことを繰り返すにしても常に心新たに
100%の集中でことにあたるようにしたいと思う.

2017年9月4日月曜日

周囲でモノが壊れ続ける,パウリ効果

食器洗い機が壊れてしまった.除湿機も壊れた.台所の電灯も次々と切れた.職場ではイーサネットのハブが突然壊れた.その前は私のPCが壊れてしまった(ようやく新しいPCに移行が完了したばかり).以前は台所のシンクがつまり,トイレも先日怪しい動作をしていた.コップを洗えばコップが割れ,障子を閉めれば障子が破れ,壁掛けのフックも落ちてしまった.とにかく,私の周囲でモノが壊れ続けている.

お盆には厄落としと思い,鞍馬山にお参りに行ったけれども,まだ少し厄が落ちていないようだ.とはいえ,ずいぶんと良くなったのだけれど.

周囲でモノが壊れるというと思い出すのが「パウリ効果」である.
パウリはあの排他律のノーベル賞学者のパウリである.
彼の周りでは実験装置が次々と壊れ,周りの同僚からもずいぶんとからかわれたようである.そんな彼を更にからかうために,冗談で彼が来たらシャンデリアが落ちるように細工をしていたのだけれど,彼が来たときにその細工自体が故障してシャンデリアは落ちなかったなどという笑い話も残っているくらいである.

私をパウリに例えるのはおこがましいけれど,そうでなくとも周囲でモノが壊れやすい人というのはいるらしい.ある娘さんの周囲では電化製品が次々と壊れてしまい,しまいには駐車場の車のゲートが誤動作してポールが車を叩いたなんて話も聞いたことがある.どういうわけか知らないけれど,そうした星の巡り合わせに生まれる人もいるらしい.まぁ,70億人も人間がいればいろんな偶然に遇う人もいるだろう.

私の周囲でモノが壊れる現象は,徐々に収束している気がする.以前よりも周囲のことに注意を払うようになったからかもしれない.単なる不注意が原因なのかもしれないと思う.しかし,実際的に問題が生じるのは本当によしてほしい.修理代が馬鹿にならないからである.

2017年8月9日水曜日

電気の人の仕事って,なにをするの?

夏休みに入り,大学では高校生向けの企画が目白押しである.
高校生向けの体験授業や実験,そして明日は大阪大学工学部のオープンキャンパスである.高校生のみなさんが大学に入ったらどんな雰囲気の中で勉強・研究をするのか知るのに良いチャンスである.

しかし,電気系というのは高校生にあまり人気がないらしい.
その理由について研究室の学生のみなさんと話していたのだけれど,自分が大学生となって電気の勉強や研究をしている姿を想像しにくいからではないか,という話が出た.

たしかに,化学系であれば白衣を着てビーカーやフラスコを片手で振っている姿がすぐに思い浮かぶ.機械系だって作業服を着て旋盤を回すとか溶接をするとか,いやいや今だったらロボットなどを想像するかもしれない.建築系だったら製図板の前で図面を引いているとか,そんなイメージが電気系には持ちづらい.せいぜいハンダごてで電子工作をしている姿だろうか.

ハンダゴテを握る研究をしているのは電気系の中でもたぶんわずかで(そのわずかな研究室のひとつが私が所属しているパワエレの研究室なのだけれど),大体は物性系,すなわち材料・化学系,あるいは情報・通信系,そしてシステム・制御系ということになり,パワエレのようにハンダゴテで電子回路というイメージからは遠い.

ひとつの有力は就職先である電力会社のイメージにしたって,作業服を着て電柱に登るCMの影響が強く,あまり憧れを持つ人が少ないのかもしれない.

でも,電化製品,電気自動車,鉄道など電気を使うところに電気専門の人はいるのである.イメージはしにくいけれど,そしてその現場現場で働き方は違うけれど,電気の研究者・技術者は大いに活躍しているのである.

そんな話を高校生にしたいのだけれど,なかなかそれも難しい.機械系のように目に見える形でアピールする研究が少ない.動くものがない.だれが電圧の波形が正弦波になったといって喜んでくれるだろうか...

パワエレは縁の下の力持ちなのだ.でもなんとか人気が出るように努力したいと思っている.どなたか良いアイデアをお持ちではないだろうか...

2017年8月8日火曜日

ウルトラセブン放映の50年前,世界人口はまだ30億人だった

今年はウルトラセブンが放映されて50年という記念の年らしい.実は私はウルトラマンシリーズの中で最もウルトラセブンが好きなのだ.もちろん放映当時のものを観たわけでなく,当然再放送を観たのだけれど.

ウルトラセブンの最終エピソードは「史上最大の侵略」で(前後編で2話構成),それはそれは名作で,

ダン「僕ねぇ,注射が嫌いなんだよ」

と子供に言うシーンや,アンヌ隊員に

ダン「僕は,僕はね,人間じゃないんだよ.M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」

 と言った瞬間,アンヌの向こう側からライトが当たり,アンヌのシルエットが浮かび上がる.そして音楽は,シューマンのピアノコンチェルト冒頭が始まる...

ダン「びっくりしただろう?」
アンヌ「ううん。人間であろうと,宇宙人であろうと,ダンはダンで変わりないじゃないの.例えウルトラセブンでも...」
ダン「ありがとう.アンヌ」

この名シーン.結局,止めるアンヌを突き飛ばして(!)セブンに変身するダン.自分の命をかけて戦うセブン.シューマンのピアノコンチェルトの第一楽章の盛り上がりの部分が怪獣との戦闘シーンに流れるというこのすごい演出.ウルトラシリーズの中でも屈指の名シーンではなかろうか.

とこの話はまた別の機会にするとして,なぜ「史上最大の侵略」というタイトルかというと,ゴース星人が地球上の全人類「30億人」を人質にとった侵略だったからである.30億の人類はゴース星人の奴隷となるか,誇りをもって戦うか,そうした選択を迫られるエピソードだからなのである.

ここで「30億人」という言葉にひっかかった.これが今回の記事のテーマ.
今,世界人口は優に70億人を越えているはず.たった50年,たった半世紀の間に40億人以上人口が増えているということなのだ.365日*50年 = 18250日の間に4,000,000,000人以上増えたっていうことは1日あたり22万人ずつ増えている計算になる.

これって異常じゃないかとさすがに思う.ドラえもんのバイバインじゃあるまいし.
2100年には112億人になるって予想が本当ならば,やっぱり人類は滅びるのではないかと思う.どこかで人口を減少させる機構がはたらくような気がする.それはとっても恐ろしいことなのだろうけれど.

「ウルトラセブン」の描く未来は,テレビ電話など現在実現しているのも多いけれど,人口の見積もりは大きく間違っていた.しかし,だれが人口が倍増するなどと思えただろう.だが着実に人口は増え続け,世界に危機がせまっているのは間違いない.今,SFで未来を描くとしたならば,それはかなりブルーなものになるしかない.

2017年8月3日木曜日

ブービーバードは何処へ行ったのか

私は黒いリュックサックを仕事で使っている.最近は手提げバッグでなくリュックサックの人も多くなってきた.マナー違反という意識も薄くなってきたのだろう.私の場合,腰が痛くなるので,このままリュックサックで失礼したいと思っている.

しかし,黒いリュックサックを担いでいる人は多く,懇親会のときなど椅子の上に置いておくと,他人のものと区別がつきづらくて困ることが多い.そこで,私のバッグには銀色の大きなアクセサリをつけていたのだけれど,今日それがなくなっているのに気づいた.あーぁ,結構お気に入りだったのに,どこで落としたのだろう.

今回落としたものは,鳥の形のものがカラビナになっているもので,ちょっと見ペンギンなのだけれど,実はブービーバードという鳥のものである(日本語ではカツオドリというらしい).

CHAMSという,いかにもアメリカ的なブランドのマスコットキャラクターなのだけれど,そのカラビナを取付用のリングごと無くしてしまった.どこかに落ちていないだろうか?ちょっとショック.また何か目印になるチャームをつけなければなるまい.

うーん,本当にどこへ行ったのだろう?

2017年7月31日月曜日

慈眼温容を思い出す.

ふと鏡を見て,眉間にシワを寄せていることに気づく.
どうも最近,心の状態が悪い.呼吸も心なしか浅い.
心の修行が足りないということなのだろう.

自分の最高のパフォーマンスというのは決して過度の緊張から得られるものではない.
真のリラックスこそ必要なものなのだ.

「慈眼温容」

私の合氣道の先生が,その合氣道の先生よりいただいた言葉である.
もう何度もこのブログに書いているけれど.

私もこの言葉をもう一度受け止めて修行していきましょう.

2017年7月27日木曜日

老後の楽しみなんてない

今日,歩いていると後ろで誰かが転んだような音がした.振り返ると柱の向こうに誰かが倒れているようだった.すぐに駆けつけてみるとおばあさんが手で押すカートとともに倒れていた.

幸い,そこは阪大病院の玄関前だったために,すぐに警備員がやってきてトランシーバーで救援を求めてくれた.おばあさんの意識はなく,足が突っ張っていた.いびきをかいていると警備員の一人が言っていたので,脳梗塞かもしれない.

そのうちに看護婦さんがストレッチャーをもって駆けつけてきてくれた.家族の人も気づいて寄ってきてくれて,心配そうに声をかけている.

何十年も生きてきて,人生の最後がこんな感じだったらどうなんだろうと,こうした場面に遭遇すると思ってしまう.今日,こんなことが起こるなんて昨日思うことがあっただろうか.いや,倒れる10秒前にだって,こんなことが起こるなんて思いもしなかったに違いない.

しばらく前から,私は「老後の楽しみ」というものを考えないことにしている.楽しむのであれば今である.私には「老後」なんてないかもしれないのである.

そしてそろそろいつ「向こう」へ旅立ってもいいように準備を始めようと思っている.いわゆる終活である.いつその瞬間が私にもやってくるかわからないのだから.毎瞬間,毎瞬間,ロシアンルーレットで引き金を引いているのと変わりがないかもしれないのだ.

2017年7月26日水曜日

シードル,HardでBitterな.

蒸し暑い日々が続いている.
こんな寝苦しい夜には,キリリと冷えたシードルがピッタリ.それも甘いやつじゃなくて,ビターでからい奴.喉越しがスッキリする.

暑すぎるとビールでさえ口に重たくなる.ビールのコクが濃厚すぎるのだ.
冷たい白ワインもちょっと重い.あの甘みが口の中に残ってしまう.
もちろんビールも白ワインも夏には欠かせない飲み物なのだけれど,暑さも度が過ぎるとどちらも重すぎると感じられるようになる.

そんなときにぴったりなのがシードル.
シードルはあまりメジャーじゃないのだけれど,リンゴの発泡酒である.

私は昔からこのお酒が大好きなのだけれど,20年ほど前にはニッカから発売されているシードルのスイートとドライの2種類しかなかった(少なくとも近所ではその2種類しか売っていなかった).近くのイオンでも昔は売っていたのだけれど,この数年は売棚にその姿を見かけることはなかったように思う.

それが最近,キリンが新たにシードルを販売し始めたようだ.ハード・シードルという名称で,味はドライ.キリリと喉越しもよい.最近ハマって何本も飲んでいる.量は300ml以下でアルコール度数も4.5%なのでちょっとリラックスするのにちょうどいいのである.

夜帰宅し,冷蔵庫を開けてシードルを取り出す.そして栓をあけてビンをラッパ飲みする.これがたまらない.口の中がキューっと締まる.甘くなく,濃厚さもない.蒸し暑い夜にピッタリの飲み物だ.

どうしてシードルはメジャーじゃないのだろうと思っていたけれど,先日ラジオで今年は「来る」と言っていた.ヨーロッパではビールよりも庶民的だという国もあるとか.
ちなみにアメリカやイギリスではシードルはサイダーである.
日本でももっともっといろいろな種類が販売されたらいいのにと思う.

2017年7月25日火曜日

40度以上の気温の中,いかにして人は37度以下の体温を維持しているのか

近年,やはり異常気象なのか,地球温暖化の影響なのか,体温を越える気温,たとえば37度とか39度とか,高温になるというニュースを見聞きする.そのたびに私は疑問に思うことがある.

40度の気温の中で,人はいかにして37度以下の体温を保つのか

ということである.
周囲温度が40度であれば,40度の恒温槽の中にいるようなもので,身体の周囲からは常に熱が侵入してきて,最終的には体温は40度に収束することだろう.

しかし,しばらくの間であれば人間の体温は37度以下の体温を保っていることができる(そうでなければ40度近くの気温の地方ではもっと多数の病人や死者が出ているだろうから).

その原因について考える.

1.熱容量.
物体にはそれぞれ熱容量があり,それは人間の身体にも当然あるから,入熱にしたがって体温が上がっていくけれど,その上昇には時間がかかることになる.その間はそれなりの体温を維持できることになる.

しかし,お風呂の中に落とした氷がいつかは溶けるように,体温もいつかは40度の気温と同一の温度に収束していくはずである.ただ人間の体内には大量の水があり,水の熱容量はたいへんに大きいから,それなりの時間がかかるということなのだろう.温度上昇のカーブをいつか計算してみたいものである.

2.気化熱
40度の周囲温度の環境で,私たちの体温を下げる機構があるとしたならば,それは汗をかくということだろう.その汗は気化するときに身体から熱をうばっていく.このとき奪われる気化熱によって体温が下がることが期待できる(呼吸においても,気道などの体内で気化熱による冷却が行われていると思われる).

しかし,身体の表面積から計算される入熱の大きさを考えると,いったいどれだけの水を身体から蒸発させれば,私たちの身体は37度以下の体温を維持できるのだろうか.いつか計算してみたいけれど,なにかすごい量の水が必要な気がする...

また,気化熱が身体の冷却機構であるならば,周囲の湿度,風況などが大きく影響するはずである.湿度が高ければ汗は乾かないし,逆に風がふけば涼しく感じるのは気化がさかんに行われるからである.一方最悪,お風呂の中にいたならば,熱伝導による熱侵入は大気中よりもはるかに大きいだろうし,汗をかいたとしても気化熱による冷却はお湯からでている首から上の部分でしか働かないはずである.つまり,お風呂に入ってのぼせるのが,熱中症になる最悪のケースということになる.

40度近くの気温の中,熱中症にならないためには大量の水の摂取と,汗をかく工夫が必要だ(運動してはだめだけど)ということなのだろう.こうして考えると,一番楽なのはやっぱりエアコンの風にあたることだということがよく理解できる.


2017年7月24日月曜日

頭痛の原因は...風邪か熱中症か,それが問題だ

昨日,朝,目が覚めると頭痛がした.
疲れがたまっているのかと思い,もう一度寝直す.
午前10時過ぎに目を覚ます.起きるとやはり頭痛がした.
そしてそれは朝よりもひどくなっていた.

風邪なのだろうか.この暑いのに?
そこで,はたと思い立った.もしかして熱中症か?
暑い昼間に,冷房もつけずに寝ていたのだから熱中症の可能性も十分にある.
そう思ってまずは水を飲んだ.
しかし,結局体調は回復せず,また横になった.
そしてまた眠る.暑い中にまた眠ることができたのだから,
結局のところ疲れていたというだけのことなのかもしれない.

原因は結局わからずじまい.
ただ午後からエアコンをつけて冷えた部屋で休んでいると幾分体調が良くなってきた.だから熱中症だったのかもしれない.頭痛持ちの私としては,その原因が熱中症か,風邪か,そしてあるいは脳梗塞か,いつもビクビクしながら過ごしている.そして,今回は,
暑い夏,水分補給の不足が命取りになるかもしれない.ひどい頭痛に耐えながら,本気でそう思った.