2024年3月17日日曜日

徳島でハンバーガーを食す OSAFUNE BURGER

 電気学会全国大会に参加するために徳島に滞在した。今回は長めの滞在となったので,徳島で何回も食事を取ることができた。阿波どり,徳島ラーメン,鯛塩ラーメン,徳島餃子,かぼす酒,かぼす酎など,多くの地元の名物を食べることができたのけれど,最終日はさすがに普通の食事が取りたくなって,昼は松屋の「チキンマサラカレー」を食べた。

一応,言い訳をすると,午前中のセッションが終わったのが12:30過ぎ,その後いろいろな人に挨拶して建物の階段を降りて学生食堂に行ったのが12:45。しかし激混み。研究室の学生が発表するセッションが13:00から開始だったので,結局昼ご飯を食べずにセッションを聞いていたのである。さすがに空腹に耐えられず,松屋でカレーとあいなったのである。しかし,チキンマサラカレー,ボリュームもあって期待以上の美味しさだった。

その後,駅前の「森珈琲店」でブレンドコーヒーで一服。カレーの余韻をコーヒーの程よい苦さが打ち消してくれる。ほんと,コーヒーを発明した人,天才。

さて,それで夕食。カレーも食べたのでそれほどお腹も空いていない。麺類ももう飽きたし,と思っていると路地裏に柔な明かりに照らされたおしゃれな看板を見つけた。何屋さんだろうと思って近づいてみると,なんとハンバーガー屋さんだった。ずいぶんとこじんまりとした店構えなのだけれど,店主の趣味なのかアメリカの田舎っぽいWoodyな店内。これ以上お腹にハンバーガーが入るかどうか心配だったけれどハンバーガー好きの私としてはどうしても食べてみたくなって,とうとう店に入ってしまった。店は新しく、昨年の8月にオープンしたばかりとのことである。

もちろんホームメイド的なアメリカンハンバーガー。その場でパテを焼いてくれる。基本セットは1,000円で,バーガーとフレンチフライ。そこにトッピングとして,私はチェダーチーズ150円を選択。加えてバドワイザービールで500円。計1,650円の食事となった。先払い。バーガーとポテトが金属製の「バット」に乗ってサーブされてくる。

バーガーの味は,まずバンズが甘い。そのように徳島のパン屋さんにお願いしているのだとか。チェダーチーズを乗せたパテのしょっぱさにちょうどよい甘さだ。そのパテはパテで,さっぱりしている。「スネ肉」って言っていたかな。脂身が少なく,パテなのにさっぱりとしていて臭みなどない。高齢者の人も食べられると店主は言っていたけれど,まさに私のような老人でもぺろりと食べられた。レタスもパリパリ。マヨネーズも自家製だということらしい。ピクルスはもっと入っていると嬉しかったけれど…トッピングメニューにあったかな?

ポテトにハインズのケチャップをかけて食べる(バーガーはチーズで十分に味がついていたのでケチャップは不要だった)。そしてバドのビール。やっぱりバーガーにはビールだ。あっという間にハンバーガーを食べ終えてしまった。全然問題なくお腹に入った(と思っていたのだけれど,時間が経つとやっぱりお腹が苦しくなった。明らかに食べ過ぎ)。

ヒゲを生やした若い男の店主が応対してくれたのだけれど,ずっと話しかけてきてくれて,徳島と長岡比較で盛り上がった。

ということで,徳島で食べたハンバーガーが美味しかったのでご紹介。店主の前で写真を撮るのは気が引けたので,ハンバーガーの写真はなし。代わりにお店のインスタを。

https://www.instagram.com/osafune_burger/

#今回徳島に来てみて気づいたのは,お店の人に話しかけられることが多いということ。徳島は人と人との距離が近いのかな

2024年3月16日土曜日

新潟県立歴史博物館(2)~雪国の暮らし~

 新潟県立歴史博物館の目玉といえば,縄文時代の「火焔土器」と大きなディスプレイで再現された「雪国の暮らし」ではないだろうか。

圧巻なのは,雁木とよばれる雪よけをつけた通路と道路,そしてそのなかで営まれていた昭和初期くらいの人々の暮らしなどが数十メートルの部屋のなかに再現されているところである。

現在の長岡は消雪パイプや整備されたことや除雪車が除雪することもあって,道路が雪に埋まって自動車などが走ることができなくなることなど滅多になくなったけれど,私が小学生のときに長岡に住んでいた頃はまだ,家々の屋根から雪下ろしした雪の捨て場がなくて,直方体に固めた雪のブロックを石垣のように道路に積んでいくところも多かった。

こうして道は雪で埋まってしまうので,町で雁木と呼ばれる家のヒサシを長く伸ばして,屋根付きの道を確保して,その中を人々は歩いていた。道路側は高く雪が積まれているので空が見えず,雁木の下はトンネルのようにいつも暗かった。

私の家も家の周りは屋根から下ろした雪で壁ができてしまうので,一階の窓からは雪しか見えないし,通行はブロックで家の2階くらいの高さまで積まれた雪の壁の上につけられた通路なので,一階の玄関までは下り階段を雪で作って出入りをしていた。そして通学は高く積まれた雪の壁の上の通路を通るので,道路脇の電信柱の頭が目の高さになるくらいだった

この通路の両脇の雪は踏み固められていないので柔らかく,この雪に足を取られると長靴が雪の中に埋まってしまい,春まで発掘は不可能だった。ミニスキーで学校まで行くことができればよかったけれど,残念ながら学校で禁止されていた。

そんな嘘みたいな話が本当だったとわかるディスプレイがされている。雁木も再現されていて,その下にある当時の店の様子も見れてたいへん懐かしい気持ちになる。これはほんとにオススメ。やはり長岡といえば豪雪。その豪雪地帯に住んでいた人々がどのような暮らしをしていたのか,ぜひ感じてほしいと思う。

個人的には,写真パネル等で紹介されていた,豪雪時に行われる「結婚式」,「葬式」そして「病人の搬送」などを見て,もう絶対こんなところに住みたくない!と思ったけれど…

#ちなみに消雪パイプは長岡市で柿の種を生み出した菓子屋の社長が発明したものということになっている。記念碑が街にある。

実物大で再現された雪の街


2024年3月10日日曜日

新潟県立歴史博物館(1)~ 火焔土器 ~

 美術館と博物館は地方を訪れたときによく行くのだけれど,長岡に越してきて5年。大学の近くにある新潟県立歴史博物館には足を運んだことがなかった。研究室の学生たちや周囲の人から「良いから一度は行くべき」などと話を聞いていたのだけれど,逆に近いとそのきっかけがなかなか見つからない。それでも,2月の終わりに仕事の一部に一段落つくことができたので,(気分転換のために)「よし」と心を決めて歴史博物館に行ったのである。

県立歴史博物館というだけあって新潟県の歴史が紹介されているのだけれど,時代は遡ってなんと縄文時代のころから(実はその前から)展示解説されている。長岡市は「火焔土器」が発掘されたことで有名だから,そうした土器がズラッと並べられている。

私は長岡に来てからこれらの土器について

  • 「火焔土器」が出土されたのは長岡市の馬高・三十稲場遺跡であるということ(今回訪れた新潟県立歴史博物館のすぐ近くに馬高縄文館とともにあります)
  • 「火焔型土器」とは「火焔土器」型の土器という意味で(「火焔型」は型式を表す),意味が少し違うこと
  • 「火焔式土器」とは呼ばず「火焔型土器」と呼ぶこと(小さい頃は「火焔式」で習ったような…)
  • よく似ている土器に「王冠型土器」があること

などを知った。6000年も前に生きていた人たちがこれらの土器を用いて炊事を行っていたかと思うと,人間がずっと行ってきた営みについて深い感慨を持つ。

私は諸星大二郎という漫画家が大好きだから縄文の話は結構好きなのだけれど,実際のところどんな生活をしていたのかなどぼんやりしかわからない。それがこの博物館では,縄文人の暮らしが人形と家屋の模型などを用いた大きな複数のセットでわかりやすく説明されていて,たいへん面白くみることができた。

彼らには年を取ると歯を抜く習慣があったとか,船を作る技術があったとか,また装飾品をつけていたことなど,古代ロマンを感じさせてくれた(一方で,同時代のローマではすでに水道や浴場,道路が整備され,馬車や石造りの宮殿があり,フレスコ画や彫像で芸術が盛んだという,文明の違いを思っていたけれど)。しかし,なぜこんな雪深いところに住んでいたんだろう...?と思う。

漫画家でいうと諸星大二郎(「暗黒神話」とか)や星野之宣(「ヤマタイカ」なんて最高!)に興味のある人,そして縄文時代にロマンを感じる人はぜひ足を運ぶべき博物館だとオススメしておく。

新潟県立歴史博物館(駐車場があります)

長岡駅にある火焔土器のレプリカ。縄文時代に魅了された岡本太郎の言葉が添えてある。


2024年3月9日土曜日

命令暗示法で運動を継続しよう。

 最近の心身の不調を解決するために,運動を始めようと思う。

思うのだけれど,この時期なかなか腰が上がらない。やはり夜しか運動できないし,夜は寒いし,長岡では雨が降っていない夜は少ない。腕立て伏せも,「トップガン・マーベリック」を見て少し継続してやめて以来,全然行っていない。スクワットも然り。なぜ運動をすると気分が高揚して気持ちがいいと感じるのに,そして夜も睡眠の質が上がって集中力が上がることを実感しているのに,運動をしないのか。われながら全く不思議である。

運動は身体に負担がかかるので,まだ理解できる。やはり疲れることを無意識に避けよう,避けようとしてしまうのだ。一度スイッチが入って,雪玉を転がし始めると玉がどんどん大きくなり,それがやりがいとなって継続するのだけれど,一旦やめてしまうと玉の重さを思い出して腰が上がらなくなってしまう。これを解決するにはどうすればいいかと考える。

やはり無意識が運動を避けさせようとするのだから,無意識を変えなければならないと思う。では無意識を変えるためにはどうすればよいか。これまで数々の啓蒙書を読んでこの有様なのだから,なにか方法を変えなければならない。

仕方がない。命令暗示法を用いようか...これは寝る前に鏡の前の自分に命令暗示をかけて,あとはさっと眠る,という方法で,心身統一合氣道の藤平光一先生が指導されていた方法である(もとは中村天風先生だと思うけど)。今まで試したことがないのだけれど,やってみようかなと思う。

ただ心配なのは,同様に心身統一合氣道の呼吸法も同様の状態であるということ。呼吸法を行えば身体にいいことはよくよく理解しているつもりである。しかし,継続しない。こちらも時間を決めてやるようにしようか...藤平光一先生は「こんなに気持ちがいいことを教えているのに,みんななぜやらないのだろう」とおっしゃっていたけれど,まさにその通り。私もせっかく教えていただいたのに継続を怠っている。運動も呼吸法と同じことにはならないだろうか...いや暗示法をとにかく試してみよう。

頭で理解するのは十分でない。実践してこそ本当の理解である。真の理解は自発的な行動を生むはずである。さぁ,五十半ばにして知行合一にチャレンジである(伝習録も読んだはずなのだけれど,行動がともなっておらず知識だけなのがバレバレ)。


2024年3月3日日曜日

おみくじの凶を4回続けてひいたこと

今冬,学会の研究会の発表で関西に行ったときのこと。学生3名と私で出世のご利益で有名な神社を参拝することになった。4名で神社本殿にお参りをし,そのあと私がいつものとおりおみくじをひくと言い出したので,せっかくだから全員でひくことになった。

おみくじは,箱の上部に丸い穴が開いていて,そこから手を入れておみくじを一つひくものである。私が最初に200円を支払って1枚をひく。さっそくおみくじの封を開いてみると...そこにはなんと「凶」の文字が。最初の一文に「する事なす事すべて思うようにいきません」と書いてある。あまりのショックで思わず笑ってしまった。逆にうれしくて3人の学生に自慢したくらいである。

そして二人目の学生がおみくじを開いた。なんと結果は「凶」。おなじく最初の一文は「する事なす事すべて思うようにいきません」と書いてある。

残りの二人もくじをひいて集まってきて,私と2番めの凶を笑っている。そして3人め,4人目とおみくじをひらくとなんとふたりとも「凶」。つまりは4人連続して「凶」をひいたことになる。

ひどいと思ったのは,4つのおみくじの番号。18番,24番が2枚,42番が1枚と3種類のおみくじをひいたことになるけれど,書いてある言葉はすべて全く同じだったこと。これは手抜きじゃないの?

連続してひかれた4つの「凶」みくじ。18, 24, 24, 42番。

じかし,4回連続して「凶」をひいたことには間違いがない。私は個人的に凶を連続して(厳島神社で)3回連続してひいたことがあるけれど,それ以来の衝撃である。凶をひいたのもそれ以来だったし。3人の学生はこれから修士論文の発表会があるというタイミングだったから,みんな笑えない状況だった。

ひとりの学生が,おみくじが置いてある社務所の売り子さんに「この神社のおみくじは「凶」がおおいのですか?」と尋ねにいったくらいである。売り子の女の子は不思議そうに「そんなことはないと思います」と答えていた。

事実,私たちのあとに若い女の子ふたりがおみくじをひいていたけれど,ふたりはキャッキャと笑いながら喜んでいて,とても「凶」をひいたようにはみえなかった。

結局はみんなで予想外の結果に笑いはしたけれど,どこかちょっと「寒い」笑顔だった。しかし,4回連続「凶」ってどれだけ低い確率の事象なのだろう。必ずハズレをひくという超能力のように,それはそれですごいことなので,まぁこれからもずっと忘れないだろう。誰かの運がとてつもなく強いに違いない。

#ちなみに3人の学生は無事卒業できそうだし,私は最近近くの神社でおみくじをひいたら「大吉」だったのだけれど。

2024年3月2日土曜日

おみくじの凶を3回続けてひいたこと

 1月末におみくじで久しぶりに「凶」を引いた。これまでに「凶」を引いた覚えがあるのは,浅草の浅草寺,そして宮島の厳島神社の2箇所ほどしかない。

浅草寺のおみくじは凶が多いことで有名だから仕方がない。あきらめもつく。

しかし,厳島神社で引いた凶はとても恐ろしかった。ずいぶん昔の話だけれど,厳島神社を参拝し,おみくじを引いたときのことである。結果は「凶」。おー,と驚いた。この神社のおみくじにはちゃんと「凶」が入っているんだ,と感心したくらいである。

けれどおみくじというのは「引き直し」ができると聞いていたので,せっかく厳島神社まできておみくじが「凶」ではもったいないと思い,2回めを引いた。そして結果はなんと「凶」。2回連続「凶」は相当こたえた...

しかし,それでもせっかく来たのだから厳島神社参拝を良い思い出にしたいと思い,あらためて3回めのおみくじを引いた。そして結果はなんと「凶」。3回連続して「凶」をひいたのである。

さすがに怖くなって4回めをひくのはやめておいた。占いは信じないのだけれど,3回連続の凶には少しビビった。その頃は関西に住んでいたのだけれど,宮島からの帰路になにか起こるのではないか,これからなにかまずいことが起こるのではないか,とビクビクしながら自宅に帰ったのを覚えている。

おみくじは,生活を見直すきっかけだと思っているので「凶」をひいたことで,生活をいろいろと反省しようとは思うのだけれど,3回連続というのはさすがになにかの凶事を予言しているのではないかと思ってしまう。一体どれだけの確率で3回「凶」をひくというのか…いまでも思い出すとちょっと怖くなる。

そしてこれを超える経験はもうないものと思っていたのだけれど...(次回につづく

2024年2月25日日曜日

不適切にもほどがある

 最近,宮藤官九郎のドラマや映画にあまり興味を惹かれず,しばらく離れていたのだけれど,彼の脚本による今期のTVドラマ「不適切にもほどがある」はかなり面白くて,毎週放映を楽しみにしている。

1986年,昭和の時代から2024年の現代にタイムスリップしたオジサン(阿部サダヲ)のカルチャーショックをもとに,行き過ぎたハラスメント対策やコンプライアンスなどの現代の問題を浮き彫りにするコメディ・ドラマである。ところどころにミュージカル風な演出があったりして(これが実に本格的で感心させられる),クドカン節全開の作品となっている。

1986年,私は大学1年生で上京したばかりだったから,ドラマで描かれている昭和の時代を実際に経験している(これもリアタイというのだろうか?)。バスや列車の中でもタバコは吸われていたし,部活動は熱血指導という名のハラスメントし放題だったし,深夜テレビでは「11PM」や「トゥナイト」,そして「オールナイトフジ」なんかが放送されていた時代である(とんねるず全盛期)。だからこのドラマの「昭和あるある」はほんとに共感できるし,懐かしく感じる。

しかし,このドラマで一番感心しているのは,その「昭和あるある」を単に笑いのネタとして使うのではなく,昭和の価値観を否定しないで,その昭和の視点から現代を見つめ直す(否定しているわけではない)ことを試みていることである。単なるコメディドラマでないところが,人気の秘密なのだろう。

とはいえ,私も阿部サダヲ演じる主人公をついつい応援してしまう。現代のコンプライアンスに縛られた生活に対して,主人公が「気持ち悪っ」って言い放つところに共感してしまうところが,私もこの現代の様式に適応てきていない証拠なのだろう。

このドラマは笑いながら,現代の価値観の新シい味方を与えてくれる素敵な作品だと思う。クドカンも久しぶりに(?)いい仕事している,って思う。


#阿部サダヲって,初めて私が認識したのは「私立探偵 濱マイク」だったと思う(木更津キャッツアイを見ていないので)。すでに20年以上も前になるのか。大河ドラマの主役を張れるような役者さんなのだなぁ,としみじみ。(映画「リボルバー・リリー」では,山本五十六を演じていたけれど)

徳島でハンバーガーを食す OSAFUNE BURGER

 電気学会全国大会に参加するために徳島に滞在した。今回は長めの滞在となったので,徳島で何回も食事を取ることができた。阿波どり,徳島ラーメン,鯛塩ラーメン,徳島餃子,かぼす酒,かぼす酎など,多くの地元の名物を食べることができたのけれど,最終日はさすがに普通の食事が取りたくなって,昼...