2017年6月24日土曜日

交響曲1997 天地人(タン・ドゥン)

7月1日で香港が中国に返還されてから20年になるのだという.そうだ,すっかり忘れていたけれど,1997年,私はこの香港返還を記念して作られたタン・ドゥンの”Symphony 1997”のCDを購入していたのだった(ちなみに金色の紙のジャケットにCDケースが入っていた).

タン・ドゥンは当時,「飛ぶ鳥を落とす」という形容がぴったりの新進の現代作曲家で,オペラ「マルコポーロ」を作曲し世界的な注目を浴びていた.その彼が依頼を受けて(誰から?),香港返還の式典で演奏するための交響曲を作曲したのが,この曲である.

現代音楽といってもこの曲は非常にわかりやすい作品で,児童合唱やチェロのソロ(式典時にはヨーヨー・マが演奏した),古代中国の楽器などがオーケストラに加わって演奏される.第一曲の親しみやすい音楽は,ベートーベンの第九を思い起こさせ,本曲が人類の友好と平和を祈っているのだと思わさせられる.香港の返還に当時は希望があったのだ.

しかし,現在の香港はどうも複雑である.20年経って経済は中国に追い越され,自由も制約され始めた.この先どうなるのかよくわからない.でも20年前には希望があったのだ.それはどこへ行ってしまったのか.

その後,タン・ドゥンは,映画「グリーン・デスティニー Crouching Tiger, Hidden Dragon」や「HERO」(キムタクじゃないやつ)などの音楽を担当したりして大活躍していたのだけれど,最近はあまり名前を聞かない.指揮者としての活動はしているようだけれど,曲の新作は出ているのかよくわからない.才能にあふれていたことは間違いないので,日本にもぜひ来て欲しいと思う.

2017年6月22日木曜日

恐怖心と美意識に縛られないロボットが最も強い

コンピュータ将棋が強くなって人間が敵わなくなってきている.そして,コンピュータが指し示す新手が,将棋界に新しい流行を生み出すようになっている.そんな時代がもう来てしまった.チェス,オセロに続いてとうとう将棋も囲碁も人間はコンピュータに敵わない.あとはコンピュータ同士が将棋を指して,どんどん新しい手を開発していくのだろう.

コンピュータに指すことができて人間が指せない手があるということは,コンピュータが恐怖心をもっていないことに起因しているという.また美意識を持っていないことも大きく影響しているということだった.

人間は恐怖心・美意識に縛られているということである.大きな意味で2つとも「先入観」といえるかもしれない.あるいは人間のもつ文化的な価値観.そうしたものがないコンピュータは自由に発想できる(正確に言うとサーチできる)ということになる.

武術・格闘技の新しい戦術・戦略もコンピュータが新しいものを教えてくれるようになるかもしれないと,私はこの話を聞いて思った.まずコンピュータが私の能力・状態を正確に測定し把握する.次に私のその時の能力を考慮した上で,その状況に応じた最善手を私に教えてくれるのだ.ポータブルコンピュータが現場で教えてくれてもいいし,そうした状況で最善手が打てるように私を訓練してくれてもいい.人間の判断を補助してくれるようになれば新しい技・戦術・戦略が生まれるようになるだろう.

しかし,人間の判断は遅い.そしてよく間違う.したがってそういう状態になったらコンピュータが人間に指示して戦うことが最も効率がよくなることだろう.リメークされた映画「ロボコップ」でもそんな話が出てくる.人間に判断を委ねるスキームは,人間を介さずに敵を攻撃するアルゴリズムにとって代わられる.なぜなら人間の判断を介した戦闘は,コンピュータが自律的に行う戦闘よりも反応が遅く,劣るからである.機械に人間が負けるーーー普通に考えれば当然だけれど,それでも人間は機械を越える能力をもつというロマンを求めてしまう.そんな小説やマンガは山ほどある.

しかし,現実は冷徹である.いつか世の中の戦争はロボットが行うことになるのだろう.人間はロボットにほとんど勝つことはできないから,ロボット同士が戦って勝敗を決めることになるだろう.それはそれで人間が死ぬことがなくなるのでよいことかもしれない.
ただしロボットが人間のために死ぬことを疑問に思わずに,ロボット同士殺し合ってくれるかぎりの話である.

2017年6月21日水曜日

コンピュータが指し示す新たな将棋の世界

藤井四段のデビュー以来負け無しの28連勝で俄然将棋人気が高まっている.その一方で名人がコンピュータに完敗するということも今年になってあったわけで,この先将棋はどうなるか,私もとても興味をもって注目している.

ラジオで将棋のプロが解説していたけれど,もう人間はコンピュータに将棋で勝つことはたいへんに難しい状況になっているらしい.コンピュータソフトもその進化が著しく,1年前のソフトと対戦すれば9割は勝つというほど,毎年毎年強くなっているらしい.

将棋の世界では,この2,3年で戦法が大きく変わってしまったのだという.それはコンピュータに将棋を教えてもらっているところがあるからだという.私も中学生の頃,将棋にすごく凝ったのだけれど(天井をみると将棋盤に見えたものだ.でも大学生になってからは天井は麻雀牌に見えるようになってしまった),まずは定跡を覚えて,手筋を覚えて,なんて感じで本を読みながら勉強したものである.そこでは,まず玉は囲ってから戦うものという暗黙の手順があった.だから矢倉とか穴熊とかミノとかに囲いを組んでそれから攻めたものである.しかし,今は違うらしい.玉はガッチリ囲うことよりも逃げるスペースが広く取れるようにゆるく守るのが流行りらしい.藤井四段も,昨年からコンピュータを導入して,そのような戦法をとるようになってきたという(藤井四段の指し手はコンピュータのものに似ているとニュースでやっていたくらい).

これまでとは全く違う一手を示す.そこから新たな戦法が生まれる.それが現在のコンピュータ将棋の意義なのだろう.しかし,ここで,なぜ人間はそうした手を指すことができなかったのかという疑問が湧いてくる.もう何百年も将棋は指され続けているのに.

その要因のひとつはコンピュータには恐怖感がないということが大きいとその将棋解説者は言っていた.また人間には美意識があるために打ち手が狭められるとも.

恐怖感がないから玉を囲わずに攻めることができる.美意識がないから新たな奇手をうつことができる.人間のもつ制約を持たないコンピュータだからこそ指し示すことができる新たな将棋の世界である.

もう将棋ではコンピュータには勝てないのだから,人間は新しい将棋をコンピュータからインスパイアされる,そしていつかは習うことになるのだろうと思う.

コンピュータには恐怖心や美意識がない.まさに怖いものしらずの強さである.

2017年6月20日火曜日

CRISIS

録画していたドラマ「CRISIS」の最終回を見た.金城一紀脚本,小栗旬主演ということでいえば以前に放送されていた「BOARDER」と同じ組み合わせで,どことなくスッキリしないストーリー展開が似ていたように思う(テレビ局は違うのだけれど).

アクションシーンがなかなか興味深かったのだけれど,使っている武術はシラットやカリらしい.たしかに警棒を使うシーンなどはカリ,相手を抑える技術はシラットっぽかった.しかし,それだけではなく仲間内で行う格闘の練習シーンなどでは飛びつき腕ひしぎなども披露されていたから(それも新木優子が技を小栗旬にかけていた!),いろいろな格闘技がミックスされているのだろう.

金城一紀といえば,岡田准一主演の「SP」も企画・原作を担当しており,そこでは岡田准一がJKDやカリなどを披露している(彼はインストラクターの資格までもっているらしい.先日もあの身長なのに胸囲が1mを越えたと言っていた).アクションのリアリティに凝っているらしい.たぶん自身もなにかしているのだろう.

今回のアクションシーンで不思議に思ったのは,小栗旬や西島秀俊が持っていた折りたたみ式警棒の材質・重さである.格闘シーンで犯人の二の腕などをその警棒で叩いているけれど,腕が折れるわけでもないらしい.グラファイト製で警棒はしなうのだろうか.それとも犯人の腕は分厚い筋肉で覆われているのだろうか.もしも私の腕だったら簡単に折れてしまうに違いない.的確に膝の上や肘の上などを狙えば,完全骨折とはいかないまでも,ほとんど動かせなくなるように想像するのだけれど.私はそういう経験もないし,今後もそうしたことは経験したくないので,知りたくはないのだけれど,ついつい画面を見て思ってしまった.

ドラマのために役者のみなさんは相当練習されたに違いない.それもマイナーな格闘技を.それがすごいと思うのである.

#BOARDERは続編があるらしいので期待している.最終回は不思議な終わり方だった.

2017年6月19日月曜日

大江千里 Rain を耳にする

先日,車のラジオからどこかで聞いたことのある曲が流れてきた.タイトルは思い出せなかったけれど,誰が歌っているかはすぐに分かった.それは大江千里だった(「おおえのちさと」とか読まない.って,こんなことを書かなければいけないほど最近は知られていないのが寂しい).

歌は「Rain」だった.あとでネットで調べて知った(いや,思い出したというべき).4,5年前に「君の名は」で話題の新海誠監督のアニメ「言の葉の庭」で,秦基博がカヴァーしていたのだという.音楽は全然古びていない.今聞いても素敵なせつない曲である.

大江千里が流行っていた頃,私は高校生から大学生になった頃だった.大江千里は,正直私にはいけ好かないタイプの歌手だった.どうしてかって,まず彼は大学生時代(関西学院大学出身)からスターだったし,なによりも彼には才能があるということも誰の目にも明らかだったし,そしてそれを彼も自分自身で理解していて彼の歌い方にはそれが現れていた.私はその歌い方,姿勢がいやだったのである.彼のファッションも80年代のポップスタイルそのままで好きではなかったし,映画の役も小憎らしかったし(「君は僕をスキになる」とか).まぁ,私にはまぶしかったということなのだろう(当時は「王子様」と言えばオザケンではなく大江千里だった).

とはいえ実は告白すると,私は彼の「redmonkey yellowfish」というアルバムが大好きで,どの曲もかなり聴いていた.80年代,大学生が憧れるポップな世界を感じさせてくれた.当時はそれを言うのが恥ずかしかったけれど.

そんなわけで当時は素直に聞けなかったけれど,先日聴いた「Rain」は思いもかけず心が少し動いた.彼のあの歌い方も,ひとつの魅力に感じられるようになった.私も年を取って,聴き方に余裕が出てきて,良さを素直に認められるようになったということだろう.

最近,彼はジャズ・ピアニストになったということだけれど,もっと彼の作品が評価されてもいいのではないかと思う.でもやっぱり彼の若い頃の歌う姿をみるとこちらがこっ恥ずかしくなるのだけれど.

2017年6月16日金曜日

TGIF!

「花金」である.もうそんなことばを使う人は私の周りにはいない(「花金」は「花の金曜日」という意味である.一応).それでも,多くの人にとって金曜日はウィークデイの終わりを告げる福音であり,この一週間の自分に対してお疲れ様を言いたくなる曜日である(そうでない方,ごめんなさい)

でも,そう思っているのは日本人だけではないようで,アメリカにもTGIFという言葉があり驚いた.TGIFは,"Thank God, It's Friday"の略で,つまりは「神様有難う,花金だ」という意味である.結局,アメリカ人も「花金」を喜ぶということか(というか,週休二日の国の労働者のみなさんはそう思っているのが普通?).

私がこの言葉を知ったのは,"Last Friday Night (T.G.I.F.)"というKaty Perryの歌を聞いてからで,金曜日の夜のどんちゃん騒ぎを後悔している内容である(ちなみにこのKaty PerryのMusic Videoは,バカげていて,下品で,最高にサイテー,いろいろな著名人がカメオ出演しているので一見の価値があるのでオススメ).

一方,SHITという,ちょっと下品な略語もあって,これは"Sorry Honey, It's Thursday"の意味とのことである.こちらはあまり一般的でないらしい.しかし,木曜日のガッカリ感が良く出ていると思う.

とにもかくにも今日は金曜日である.TGIF! 気分をあげていきましょう.
(とはいえ,週末休むとは限らないのだけれど)

2017年6月15日木曜日

刀剣ブームで慣用句も復活するか

なんとも不思議な世の中になった.
若い女性の間で刀剣ブームというものがあるらしい.「刀剣乱舞」というゲームのおかげとのことだが,これまでは一般の人にはほとんど関心がもたれなかった分野に注目が集まるのは嬉しいことである.しかし,刀剣の展示会などで女子が集まっているような場面をニュースで見ると少し異常かなとも正直思う.擬人化された男の子に興味があるというならともかく,本物の刀剣をみて何を思うのだろうか.

とはいえ,刀というものは江戸時代までは町中で見かけられたものであって,私たちの生活の中にも刀に起源をもつ言葉が結構ある.私の合氣道の先生はよくそれをおっしゃっている.

刀の部分に関連した言葉でも思いつくままに書いてみても,

「反りがあわない」
「切羽詰まる」
「鯉口を切る」
「鎬を削る」
「鍔迫り合い」
「目貫通り」
「もとの鞘に納まる」
「鞘当てをする」

などと,たくさんある.と言いたいところだけれど,今の若い人がどれだけこれらの言葉を使っているかと問われれば,はなはだ心もとない答えしかできない.

もしも刀剣ブームが本当であるならば,こうした慣用句も復活して欲しいと思う.

2017年6月14日水曜日

お洒落なチョコミントが欲しい

先日,あるコンビニに寄ったところジャイアントコーンのチョコミントが他の種類に比べ大幅に値引きされて売っていた.喉から手が出るほど欲しかったけれど,ちょっとその時は食べている余裕もなく,泣く泣く買うのを断念した.でも,しばらく時間が経ったのち,なぜチョコミントだけが安売りされていたのかとふと思った.あんなに美味しいのに...でも結局,チョコミントは人気がないのだという結論になった.

私はチョコレートに目がなく(でも,今年の目標は相変わらずダイエットです!),いつか世界のショコラティエの作品を食べ歩くのが夢なのだけれど(楠田枝里子は私の夢をすでに実現しているすごい人なのだ),私だけでなく,多くの人はチョコ好き,いやチョコレートが嫌いな人なんてこの世の中に本当に稀なのではないかと思っている.

でもそんなチョコ好きの人でもチョコミントだけは駄目という人を結構知っている.先日も大阪ではチョコミントが人気がないという記事をネットで見かけたくらいである.私はそれがもったいないと思うのである.

実を言えば,私も昔はチョコミントが苦手だった.大学生の頃である.でも,イギリス名物のチョコレート「アフターエイト」に出会って,その甘くない大人風なオシャレな味に,一気にその魅力に目覚めたのである.「アフターエイト」はチョコレートの中にミントフレーバーが入っていて,スキッとする.でも安っぽくない,歯磨き味ではない辛味があって美味である.イギリスの名物だけれど紅茶ではなくコーヒーに非常に合う味なのである.

以来,チョコとミントの大人な組み合わせが大好きとなった.チョコミントのアイスもその爽やかさの魅力に気づいた.今では全く抵抗がない,どころか積極的に選択するくらいである.

そういえば,ちょっと前の話だけれど,小説ブギーポップシリーズにも「ペパーミントの魔術師」と呼ばれる怪人が出てきたことがあって,その話のファンタジーな展開の中でチョコミントのアイスクリームが大変魅力的に思えてきたという覚えがある.

あの少し蛍光がかった緑のアイスとシックな茶のチョコとの組み合わせ.配色的にもかなりハイセンスである.カラーも味もしっかりと大人向きなのだから,もっともっとオシャレなスイーツとして活躍してもいいと思っている.なのに世間にはどうも安っぽいチョコミントしかなくてガッカリである.誰か本当に上質で上品,オシャレなチョコミントを作ってくれないだろうか.絶対に食べに行く.

いつかオシャレな大人はチョコミントを愛するのが楽しみであるという時代がくるものだと私は信じている.そのときには,私はずっと前からチョコミントファンだと周りに自慢するのである.


2017年6月12日月曜日

太刀と刀

太刀(たち)と刀(かたな)は違うことを知らない人も多い.

太刀は刃を下にして腰帯に吊るして携帯するもので,これを「太刀を佩く」という.一方,刀は時代劇でよく見るように帯に差すもので,刃を上にして差すことになっている.大刀を本差,小刀を脇差と呼び,刀は差料などとも呼ばれる.

一般的に太刀の方が長く,反りが強かったりする.馬上で使うためということらしい.一方,刀は江戸時代以降に武家諸法度によって大刀の長さが2尺程度までと決められていた.でも江戸時代後期の剣豪である平山行蔵などは2尺をはるかに越える3尺8寸の長刀を差していたという話が残っているし,居合の林崎などは3尺を越える長刀を抜いていたと言われているので,実際には法を破っていた人も少なくなかったのではないかと思われる.ただ,刀は反りが強くないので,刃を上にして乗馬すると小尻が馬の尻にあたるので,刃が下になるよう返して腰に差したと言われている.

明治以降,西洋式の軍隊になってからは,また太刀のように刃が下,あるいは前を向くようになっているのは,やはりサーベルを真似たからなのだろう.また馬上での取扱を易くするためだからと思われる.

合氣道の稽古においても,木刀を太刀と呼んだり,剣と呼んだりするので,同じだと思っている人が少なくないのだけれど,一応違うことになっている.ただ私はどちらも本物を持ったことがないので,知識だけなのだけれど.

2017年6月10日土曜日

岸田繁 交響曲第1番 ~いったい「くるり」はどこへ行く?~

「くるり」の音楽性の変遷が興味深いという話を先日書いた.アジアン風な,でも無国籍な音楽に傾きつつあるという印象だった.

そして,ついこの間,「くるり」のメンバーである岸田繁が書いたという「交響曲第1番」を全曲聴く機会があった.岸田繁の多才さを再認識した.

交響曲第1番は,五楽章構成でたぶん演奏に40分~50分くらい要するのではないかという大曲である.初めて聴いた印象は,意外に現代音楽的ではなく(もっと現代風なアレンジをするかと思ったけれど),それでいてベートーベンやハイドンのような古典的な形式でもなかった.私の個人的なイメージでは,国民楽派の五人組やカリンニコフに近い民族的な響きがあったように思う.

古典的な交響曲の形式(急速楽章,緩徐楽章,舞曲,急速楽章ーコーダという流れ)というよりも,マーラーの交響曲のような連続する交響詩といった構成であって,それは岸田繁のマーラー好きを思い起こさせる.

だから,聴き終わった後にスッキリ感というのはちょっと少ない(「ラフマニノフ終止」とまではいかないにしても).しかし,お腹いっぱいという感じはする.それも不味いものを食べた気分はせず,街のおいしい洋食屋さんのメニューをたっぷりと堪能したという感じ.

少しとらえどころのない音楽ではあったけれど,また次に聴いてみたいような気もする作品である.岸田繁の才能にあらためて感動した.

しかし,「くるり」は一体どこへ向かっているのだろうか.無国籍どころではなく,無ジャンルの音楽になりつつあるのかもしれない.

#聴いたのは
岸田繁「交響曲第一番」
指揮: 広上淳一
演奏: 京都市交響楽団
2016年12月に京都で行われた初演のライブ録音だった.