2009年8月21日金曜日

世界は「呪い」であふれている

最近,ふと葬式や法事は,
故人の縁者にかけられた故人からの
呪いを解くための儀式ではないか,
と思いついた.

「呪い」というと物騒だけれど,
縁者の記憶の中にある故人への想い,
それは愛情もあるだろうし,
憎しみもあるだろうけれど,
そうしたものから現世の人々を
解放するための儀式なのではないかと
思うのである.

もしかすると本当に故人の霊魂があって,
それを鎮めるために,葬式や法事が
あるのかもしれないけれど,
その実際の意味は,現世に残された人々の
癒しのためにあるのである.

私たちの行動は,多くの場合潜在意識によって
支配されている.
この潜在意識は,たぶん過去の記憶などから
構成されており,現在の私たちの思考や言動は,
その中の材料を組み立てて決定されているのである.
思考や言動は,過去のそうした記憶に
束縛されているのである.
それも多くの場合,意識することなく...
だから,それらは「呪い」と呼んでもおかしくない.

意識することなく,私たちの言動を束縛するものに,
私たちを取り巻く環境からの情報がある.
文化といってもいいと思う.
私たちは無意識的にこの文化に適応するように
強制されて生きている.
これもひとつの「呪い」である.
「暗示」といってもいい.
世界は「呪い」であふれている.

こうした「呪い」が,潜在意識化で
私たちの心を蝕んでいることもあるだろう.
故人に対する懺悔の気持ちも
ひとつの「呪い」であり,
葬式や法事はそれらを解くものである.
霊の存在が問題なのではなく,
私たちの心の癒しのために
必要なものだったのである.

こう考えると,俗にいう「呪い」とは,
呪いをかける相手の心に
何らかの「指示」あるいは「暗示」を与え,
それによって日常の言動を恐怖で
制限することが目的のものである.
そしてその「お祓い」は,
その暗示から解放するための儀式である.
(この意味では,「呪い」とは
呪いがかけられた相手が,
自分がかけられていると知らない限り,
その効力はないことになる)

科学技術が発達した現代においても,
人間の心は太古からそうそう
変わっていないような気がする.
そうした心に直接働きかける
「呪い」「暗示」はいまだに強い力をもっているのだ.


2 件のコメント:

  1. お盆休みの最初に親戚で不幸があったので、なおさらそう感じます。
    いろんな人のいろんな呪いを解く儀式が次々とありますね。

    呪いとは違うかもしれませんが、いわゆる「大人の世界」にもいろんな暗示があって、それが結構人を苦しめているんだなと思います。

    頑張ること、必死になること、苦労することが善。リラックスすること、マイペースは怠け。同じことなら、苦労した方が偉い。そんな考えは、ある目標に向かって走っていくときはいいかも知れませんが、運悪くやってもやってもうまくいかないときは、心が疲れているときは、この暗示は命取りになります。
    鬱になった人に「もっと頑張れ」と言ってしまうのがその例です。

    それはそれとして、時に神頼みしてしまう、それはそれで必要なのかもしれません。

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  2. すみません,Asanoさん,こんな記事にまでコメントいただきまして...

    実は,私,こうした話大好きなんです.私たちの精神が,無意識のうちにいろんなプレッシャーをかけられているということを,少しは気づいて考えてみること自体が,そうした呪いを解くための第一歩なのですよね.

    Asanoさんが挙げられた例は,まさにそうした「呪い」の一種ですよね.そうした社会通念というのは,多くの人たちが共有することで逆に気づかないものになってしまい,いつのまにか私たちの言動を縛るものになっているわけですよね.でも,それに気づいているわけですから,なんとか解放されるかもしれません.

    神頼み,私は得意です(笑).

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