2009年8月10日月曜日

天狗は隻脚

相変わらず怪談に入れ込んでいる.
読み続けている「新耳袋」も第3夜.
(すなわち第3集目)
あっという間に読了した.
おかげで夜が怖いこと,怖いこと.
しかし,それでも読んでしまうのだから,
そうした恐怖(もちろん,ソコソコの怖さである
必要はあるけれど)は一種の快感なのだろう.

第3集には,妖怪,もののけの話が出てくる.
そこで,「天狗」らしきものが出た
エピソードが紹介されている.

「天狗堂」と呼ばれる御堂に
修験道の修行者が冬の寒い夜に
数人で泊まった次の日の朝のこと.
片足だけの大きさ30cmほどの足跡が
雪の上にポツン,ポツンと残されていたと言う.
その足跡はまるで鳥のようだったそうだ.

この話を読んで,すぐに思い出したのは
「山男」である.
昔から山に住むもののけは,
隻眼,隻脚であると伝えられていることが多い.
柳田国男の著作などにも多く紹介されている.
「一つ目小僧」なんていうのも,隻眼,隻脚で
たぬきが化けたために人間に足りないところがある
などという話を子供の頃から信じていたと
柳田は述べているけれど,そののち,
山男の伝説を全国で集めているうちに,
なぜか隻眼,隻脚である言い伝えが多いことに
気付いたとしている.

もちろん,「たたら」の話もあって,
それは隻眼,隻脚との伝説と強く関わっているのだけれど,
天狗もやはり隻脚との言い伝えがあるのである.

この辺りの話も話すと長くなるので,
また次に機会を譲りたいと思うけれど,
ここで驚いたのは,現代で天狗の話を集めたとしても
またあらためて「隻脚」と関連してくるということである.
天狗が本当に隻脚で存在しているのであればともかく,
そうでないとしたら,人間が共通に持ち続ける
根源的なイメージが関係しているということもありうるのではないか.
そちらの話の方が天狗がいる,いないの話よりももっと興味深い.

ただ,「新耳袋」を編纂した二人は,ともに怪奇現象のプロであり,
天狗と隻脚の関連をそもそも知っていたという可能性は非常に高い.
隻脚の足跡をみて,「天狗」に関連付けたことには恣意性が
少し感じられなくもない.
しかし,それでも現代にもそうした怪現象が確認されたとしたならば,
昔から綿々と受け継がれた天狗の伝説は
やはりまた繰り返されるのであろう.

怪談と人間の心理の関係を追っていくと,
本当に面白くて仕方がないのである.



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