何度もいうけれど,大学教員に夏休みはない.
(まぁ,盆休みはあるけれど)
講義がない分,夏休みは学会や打合せが多く,
8月,9月はずっと忙しいのである.
ということで,お盆休みは全く頭を休めていた.
一昨日新潟から自宅に帰ってきたのだけれど,
昨日は庭の芝刈りをして,身体を少し動かした.
庭といっても本当に猫の額ほどしかないのだけれど,
それでも電気バリカンを使って2時間くらいかけて
芝生を短く刈った.
うちの奥さんから,できるだけ短くしてくれ,との
リクエストにこたえて,努力を重ねたけれど,
その結果といえば,トラ刈りになったうえに,
あちらこちらにハゲがある芝生になってしまった.
自分の奮闘のあとが哀しい.
村上春樹の初期の作品に
「午後の最後の芝生」という短編がある.
そこでの「僕」は芝刈りがとても上手なのである.
アイロンがけ,料理,掃除なども「僕」は得意だから,
芝刈り「も」というべきか.
こうした日常の営みに不可欠なものに手を抜かないのが
「僕」の特徴である.
そしてそれは「僕」が,自分を見失いそうになるときに,
戻ってくる場所なのである.
家事を行っていると,なんだか落ち着いてくる.
昨日の芝刈りのときもそうだった.
そして芝の手入れをすることが,芝生そのものを
健全に育成するために必要なことだとあらためて気づく.
その奉仕の報酬が青々とした芝の絨毯となるのだ.
そんなことを考えながら芝を刈っていると,
あっという間に陽が傾いて,風も涼しくなってきた.
気づくと身体のあちらこちらを蚊に刺されてしまっている.
ハゲた芝生にがっかりし,
赤くはれ上がった手足をポリポリかくことになったとしても,
その後のビールは大変に美味だった.
汗をかいて労働することは,それだけで単純に素晴らしい
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