2007年8月23日木曜日

モノづくりの現場からの警告

大阪工業大学で行われた電気学会 産業応用部門大会も無事に終了した.
学会という場では,いろいろな方と情報交換ができることがうれしい.
そこであるメーカの方から興味深い,しかし恐ろしいお話を聞くことができた.

それはモノづくりの現場からの警告である.
ここ数年,下請の部品工場から上がってくる製品に
不良品の割合が多くなってきているという.
明らかに部品のクオリティが下がっているということである.

ある製品において,部品に欠陥があれば致命的である.
現在もいろいろな製品が自主回収されている状況をみれば,
そうした欠陥がその企業に及ぼす影響は非常に大きいことは容易に想像がつく.

もちろん,そうした不良品は試験においてチェックされており,
製品に欠陥が生じないように十分配慮されているわけであるが.

原因について考えてみると,
まず現在は,昔のように品質にメーカ独自でマージンをもつという
余裕がなくなってきている,ということがあげられる.

10年ほど前,以前の職場で公差(許容できる誤差)をいくつにするかという話を
メーカとしたことがある.
このとき,公差5 mmとこちらが提示すると,メーカはちょっと渋い顔をした.
こちらはメーカの技術力を知っているから,
当然それは可能だと思い提示しているわけなので,そうした反応はちょっと意外だった.
そこで話を聞いてみると,公差5 mmといわれたら
3 mm程度で私たちは作るつもりでやっている.
しかし,3 mmとなるとちょっと難しいかな,と思うとのことだった.
メーカのなかであらかじめ2mmのマージンをとっているのだ.
日本のメーカとはそうした気概をもってモノを作ってきたように思う.

しかし,現在ではギリギリまでコストを削ることを強要されるために,
そこまでの余裕がもてない.
したがって,公差5 mmといわれたら,ギリギリ5 mmのものを作る.
誤差の偏差を考えるとやはり許容できない製品の数は増えることになる.
こうしたことが現場で起こっている.

次に問題なのは人不足である.
人不足にも2種類ある.
まずは,これまで会社を背負ってきたモーレツ社員たちのリタイア.
すなわち団塊世代の引退である.

モノづくりの現場においては,結局のところその技術の最後の部分を支えているのは,
個々人の知識であり,技術である.
それはハイテクの現代においても変わらない.
人が技術を支えている.

そして,これまでそれを支えてきた人たちが現場から去っていく.
核をなくした現場は急速にその力を失ってしまう.
これまでと同じことを継続するだけであればなんとかなるだろうが,
新しいことに対応できなくなってしまう.
結局力不足になってしまうのだ.
では,次世代の人材が育っていないのか,ということになる.
これがふたつめの人不足である.

プロというのは,高い倫理観を自分の職業に持っている人だと
私はつねづね思っているが,
そうした人が現場(だけではないけれど)から少なくなっているのだ.
仕事を任せることができない人が増えている.

仕事はそこそこ楽してそこそこ稼げれば良いという考えの人が
多くなってきているようだ.
だから,要求を厳しくしても,それにこたえることができない.
拒否する,逃げてしまう,そんな人たちが増えてきている.

冒頭の話にもどって,部品をつくってもらう工場に,
基準をもう少し挙げるよう頑張って欲しいといっても,
最近では,できないと即座に断られることも多いという.
それは技術力が低下しているからでもあるし,
従業員にそうした努力を強要できないということでもあるという.

団塊の世代の人たちが,継承者を育ててこなかったのか,ということになるが,
確かにそういう面もあるのかもしれないが,
現在の若者の気質などを見ても,その原因は実は現代の社会の在り方に
起因するものでもっと根が深いものではないかと,
私も,そのメーカの方も共通した認識を持っていた.

この5年間で本当に人が大きく変わっているのだという.
そのメーカの人事においても,その変わり方に驚き,
そして頭を痛めているそうである.

人材を送り出す側の大学としても,責任を強く感じる.
しかし,大学入学の時点ではすでに手遅れであるという危機感も強いのだ.
悲しいことに,学生の価値観を変えるというところまで
濃度の高い指導というのは難しいのが現状なのである.
しかし,ただこの状況を見ているだけというわけにはいかない.
なんとか解決方法を模索していかなければ
日本は大変なことになってしまう.

団塊の世代が支えた繁栄の上に私たちは胡坐をかいてはいないだろうか.
私たち自身でも次世代になんとかつながるように努力していかなければならない.
そう,そのメーカの方とあらためて確認しあったのである.

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