う~ん,まだまだやれるゾ.
がんばっていきまっしょい.
さて,忙しくなると書店から足が遠のいてしまうけど,
そうなると本屋好きの虫がウズウズとし始める.
最近自分で思うのだけれど,
「本好き」ではなくて「本屋好き」なのだと思う.
(もちろん「本好き」だとも思っているけれど)
本屋なんて,どこも同じような商品が
並んでいるようなものだけれど,
その実は,その本のセレクトには
各書店で特色があるものである.
特に漫画本の品揃え.
(40歳を過ぎて漫画を読むのかといわれると
なかなか恥ずかしい)
私が好きな諸星大二郎とか星野之宜などの大判
(最近は文庫本も出ているけど)が
並んでいる書店というのはなかなかない.
あるいは,高橋葉介や高野文子.
こういった漫画家,そう,大人向けの漫画家.
そうした漫画は売れないのか,
あまり書店に置かれていないので,
私は大変寂しく思うのである.
だから,ふと旅先で飛び込んだ地方の書店に,
そうした本が並んでいるのを見ると,
「おっ,ここの本屋はなかなかやるナ」などと
感心したりしてしまう.
もちろん大型書店も,それはそれで大好きだ.
子供の頃のように立ち読みができないので,
中身を確認して購入するということができないのだけど,
それでも様々なタイトルが並んだ背表紙を眺めているだけで,
あっという間に時間が過ぎてしまう.
そしてなぜか満足感と幸福感を味わうことができる.
以前読んだ漫画家の新刊が出ているのを見つけたりすると,
ついつい手を伸ばしてしまう.
また全然知らない漫画家の本でも,
絵の雰囲気に惹かれてしまうこともある.
こうして新しい鉱脈を見つけることができる.
それも大型書店の良さである.
結局のところ,こうした鉱脈を見つけに
本屋に足を運んでいるのだと気づく.
毎週のように足を運ぶ書店であっても,
同じ書棚を目を皿のようにして長時間眺めている.
今週,新しい本が並んでいないか,
あの著者は新刊を出していないか,
それを確かめているのである.
そして時々,新たな鉱脈をみつけ,
その作家に連なる作品群を次々に掘り起こしていくことになる.
つまりは,飽きもせず本屋に通うということは
じっくりと鉱脈を探すことに他ならない.
しかし,その鉱脈から掘り出されるものは,
自分を変える可能性も持っているのだ.
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