2009年9月30日水曜日

JCO臨界事故に思うこと(1)

先週土曜日の夜に帰国した.
いろいろと忙しく,ブログを書く余裕がなかった.
サンノゼの交通事情や,往復の飛行機の中で観た
映画の話など,いろいろ記録にとどめておきたいことも
あるけれど,今日は別の話.
10年前のことだけれど,記憶が残っているうちに,
少しずつこの話を書き留めておこうと思う.

10年前の今日,東海村の株式会社JCOの
核燃料加工施設において臨界事故が発生した.
いま,この事故について学生に聞いても知っている人は稀である.
しかし,私はそのとき,JCOの隣の建物にいた.
(隣といっても何kmも離れていたのだけれど)

その日のことはよく覚えている.
当時私は,日本原子力研究所 那珂研究所に
勤務していた.
職場のテレビは昼休み,
いつも13:00のNHKのニュースを
見てから消されることになっていた.
そのニュースで,茨城県の東海村のJCOという
会社の核燃料施設で事故が発生し,
作業員が病院に運ばれたとの情報が流れた.
その作業員は「青い光を見た」といったという.

私はこのニュースを聴いて,上司に
「青い光って,まさかチェレンコフ光じゃぁ,ないでしょうね.
けど,青色が出る炎色反応って,なんなんでしょう?」
と言ったことを今でも忘れない.
事実は,本当に臨界反応が起きて,
チェレンコフ光が発生したのであった.

しかし,私はこれが大きな事件になることなど,
予想もせず,まずはJCOという会社がどこにあるのか,
ネットで調べた.
そしてなんと,JCOは隣の敷地に建っているということが
明らかになったのである.

事故発生は11:00頃.
12:30には東海村が避難の案内を始めていたというから,
私は全然知らずにいたことになる.
またJCOと研究所の間にはグラウンドがあって,
多くの職員がサッカーなどを楽しんでいた.
彼らもまったくその事実を知らなかった.

しかし,私がいた職場も一種の原子力施設である.
核融合の研究所だったので,放射能レベルは大変低く,
日頃は実験装置の内部に入ろうとしない限り
放射能の危険など考えもしないようなレベルであったけれど,
それでも万が一のことを考えて,放射能のセンサは
研究所の敷地に設置してあり,高いレベルの放射能が
検出された場合には警報が発せられるはずである.
それが鳴っていない.
実際は,私たちの研究所においては,
放射能のレベルとしては低いものだったのである.
(もちろん,事故現場にいた方々は多大な被ばくを
されたわけだが)

だから私は安心して,そのまま仕事を続けた.
ただつけっぱなしにされたテレビからは
ショッキングなニュースが次々と流されていた.
そのうち,JCOの設備の建屋の屋根が爆発で
吹き飛んだ,などという情報もテレビで流された.
それを聞いて私などは,JCOの建屋を見に
廊下に出て行ったものである.
実際にはそんな事実は全くなかった.

当日は木曜日だったと思うのだけれど,
そのまま水戸に合気道の稽古に行ったことも覚えている.
テレビで流される情報と現場との
あまりの違いの大きさにあきれていた.
そしてメディアのいいかげんさと横暴ぶりにも.

このときのメディアの対応については,
いろいろ腹の立つことも多く,考えることもある.
それも近いうちにまとめたい.
とにかく,それ以降,ますます私は
テレビや新聞を疑うようになってしまった.
その後起こった風評被害を起こした犯人のひとりは
間違いなくメディアなのだと私は思っている.
そうした話はまた機会をあらためて.

今日はこのくらいにしておきます.



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