2010年7月13日火曜日

人間距離

「人間距離」...「じんかんきょり」と読む.

先日,読んでいた雑誌に「扇谷正造」の名前を見つけて,
ふと,この人に何度か会ったことがある,と思い出した.

もちろん,個人的に知り合いということではないけれど,
数度ほど近くで見たことがある.
たぶん,数言くらい会話をしたはずである.

私は大学時代,ある企業(リクルート)の
奨学金をいただいていた.
その奨学金のための面接試験があり,
確かそこで初めて面接官のひとりであった扇谷氏を見た
(はずである.よく憶えていないけど).

「VAN」とは何か?
と面接試験で尋ねられたのだけれど,
それが扇谷氏からの質問だったかどうかも覚えていない.
(このとき,私は全然「VAN」の意味がわからなかった.
服のブランドかと真面目に思った(笑).
答えは,「付加価値通信網,Value Added Network」)

しかし,彼の姿は今でも覚えている.
黒ぶち(?)の眼鏡の奥からのぞく鋭くて,
でも優しそうな視線.
短めの髪は,白いものが多かった.
後日,奨学金の祝賀パーティーなどで
ご一緒した際に,間近に見る機会があったのだ.
(たぶん少し会話もしたような...)

そのパーティーの際の扇谷氏のあいさつに
紹介された言葉が「人間距離」なのである.

「車間距離をとる」とはよく聞くけれど,
「人間距離をとる」とは聞かない.
しかし,人と人との付き合い方は簡単なものでなく,
微妙な距離を保つことが車の運転同様,
世の中を渡っていくのに肝要だ,

とのお話だったと記憶している.
たぶん「人間距離」というのは扇谷氏の造語だと思うのだけれど,
奇妙な言葉だったので,今でもそのお話はよく覚えているのだ.
彼の姿はもうずいぶん記憶も薄らいでいるというのに.

最近,メールやブログなどの普及で,
人付き合いの距離の取り方がますます
難しくなっているような気がする.
顔をあわせない付き合いは,
相手が見えない分,どうしても手探りのところがある.
それらが主たるコミュニケーションとなっている学生の
苦労を思うと,つくづく今の時代,
若者でなくて良かったと思ったりする.
そして,25年近く前の扇谷氏の言葉が,
変わらないどころか,ますます重みを増していると感じるのである.


実は雑誌の記事で初めて扇谷氏が「週刊朝日」の
名編集長であったことを知った.
いやはやなんと私は世間知らずなのだろう,と
あらためて今,恥ずかしく思ったのである.

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