2011年2月7日月曜日

就職試験で学力を測るためには

学生のみなさんはテスト期間である.
みなさん,単位取得のために一生懸命
テスト勉強をしているものと思う.

でも,ほんとだったら,私だってテストをやりたくない.
テストを作るのも,採点するのも,
かなり大変なのだから.

しかし,他に良い実力の測り方がないのである.
こればかりは面接で,という訳にもいかない.
多人数の能力を,効率よく短時間で測定するのには
やはりテストが一番よいのだ.いまのところ.

学力の試験はそれでいい.
しかし,就職試験はどうだろう?
現在は,学力試験と違って面接が重視されているようだ.
本当にそれで実力を測ることができるだろうか?
それでできるのは,面接試験の短時間だけ
うまく振る舞えるように,練習をしたかどうか,
だけではないだろうか.
(まぁ,ある程度コミュニケーション能力は
測ることができるかもしれないけれど)

本当に学力試験を行えば良いのに,と思う.
それは一般常識とかではなくて,
本当に専門科目のテストを.
仕事の現場が要求する知識を問う問題を.
人事にそのためのテストを作成する能力がないのであれば,
本来人を選別することなど,難しいのではないだろうか.

結局他に手段がなければ,人の学力を測るのは,
「学歴」ということになる.
これは,テストをするよりも,まだ悪いような気がする.
(まぁ,研究系だと,どの研究室出身か,ということは
重要視されたりするのだけれど)
しかし,現状,就職活動では,それが効率の良い
選別方法なのだろう,とも思う.

聞くところによれば,ある企業へのエントリは
インターネットのおかげで,優に5000を越えるという.
(そりゃそうだ.学生ひとりひとりが50社を越える企業に
エントリするというのだから)
そのうえ,エントリシートの内容や面接試験の回答は,
このインターネットのおかげで情報が共有化され,
均質化していることは間違いない.
だれも同じような回答,同じようなレベルなのだ.
差がつかない.
人事の人は,人を選ぶのに,
結局「学歴」しか頼るものがないのだろう.

学生の立場に立ってみれば,
「学歴」で勝負できなければ,学歴の他に,
自分の実力を客観的に示せるものを
身につけなければならない.
資格とか,TOEICとか.
(TOEICが高得点でも,会話ができないと困るのだけれど)

学生がいくら学歴重視反対といっても,
それに対抗するなにかを示さなければ,
結局大学時代遊んできたとしか
思われないのだろう.
(大学1年からしっかりと展望を持って
資格をとるなどする努力が求められている)

厳しいなぁ.
情報の共有によって,誰もが同じレベルの回答をする中で,
優秀な人材を選ばなければならない.
人事はそれはそれで不幸なのだとは思うのだけれど,
今の状況は,なんとかならないかと思う.
学生も企業も不幸で,誰も喜ばないのである.
(喜ぶのは就職斡旋業者ばかり)

打開策として,本気で企業も
独自の学力試験を実際に行ってみたらよいと
思うのだけれど...

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