ベトナム ホーチミンを訪問して,その活気に元気をもらってきた。
まず街に勢いがある。交通状態はひどいけれど,街は活気づいている。みな良い未来を信じているように活動している。日本では昭和の高度成長期にみたような,そんな活力が感じられる。
今回の訪問であちらこちらで聞いたのは,ベトナムという国のすごさ,おかしさ,である。ある日から突然,法令が執行されて厳しく罰せられたり,また一方でよく決まっていない部分が残されていたりで,日本側の人たちは(もちろんベトナムの人たちも)その対応に右往左往させられるのだけれど,ベトナムの人たちは「そういうことがあるのも仕方ない」と半分あきらめて,でも半分はちゃんと対応しているのがすごいと思った。
そこで私は思ったのだけれど,ベトナムに活気があるのはそんな法令的にも制度的にもグレーな部分が存在しているからではないか,ということである。国が成熟して,法令・制度が固まってくると,リスクを取る必要がなくなり,安心な未来が見通せるようになる。しかし,それでは人間の荒々しい勢いと活力が減少するという結果を産んでいるのではないかと思うのである。
ベトナムでは交通ルールは相変わらずひどいし,街も汚かったりする。制度的にも抜け穴が一杯あるときく。しかし,だからこそ成功への可能性がまだあちらこちらに残っている。だからみんな夢見ることができるのだろう。これが社会構造が固まってしまって,人間がその「生まれ」によってその将来がだいたい決まってしまう,という日本のようになってしまったらどうだろう。この荒々しい活力は火が消えるように収束してしまうのではないだろうか...
人間というのは,清潔で安定な環境を好むけれど,一方でそうした環境を壊したいという破壊本能もどこかに持っているのだと私は思っている。だから冒険に憧れる人もいる。その衝動をうまく社会を回すことに使えなければ,社会のどこかで鬱屈とした悪事がはびこるか,あるいはどこかで革命,戦争が起こるかしてしまうのではないかと思う。
そのような人間の本能をうまくコントロールすることができた社会こそ,持続可能になるのではないかと思う。ベトナムくらいにグレーな世界こそ,人間が最もイキイキできるのではないかと思うのである。
ベトナムでセカンドライフを楽しもうとする人もいると聞いた。その理由もわかるような気がする。日本のように老化し衰退していく街に済むより,少しぐらいグレーでも活力のある街で余生を楽しく,元気に過ごす方がずっと人間的な最期を迎えられそうな気がするのだ。
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