2023年12月24日日曜日

すべて忘れてしまうから,燃え殻のあざとさ

 「すべて忘れてしまうから」読了。なんとも,著者の「燃え殻」が自分にひどく近いように感じてしまうエッセー集だった。

評としては文庫本あとがきにある町田康のものが秀逸なのでそれを読んでいただきたいのだけれど,決して人生の勝者ではない人たちのエピソードが並べられている。町田康も書いているけれど,しかし絶望で終わらない。そこにはかすかな希望の光が遠くに見えている,そんな終わり方のエピソードが多い。そこに救われる。いや救われはしないけれど,絶望しないで済む,そんな感じである。

もっとも心に残ったエピソードは,実はまえがきにある大槻ケンヂとのエピソードである。小説を書くきっかけになった大槻ケンヂの自伝的小説で,自分が心に残っているシーン,セリフがフィクションだと知らされる。このとき,著者はたぶんショックを受けたとは思うけれど,そこに小説の可能性の広がりを感じたのだろうと私は思った。大槻ケンヂはそのフィクションを「希望」と呼んだ。大槻は燃え殻に問う。「君の希望はどこにあるの?」。そして著者の希望は小説とこの作品に散りばめられている。

読了して思ったのは,著者の「あざとさ」である。あきらかに読者の心に引っかき傷をつけることを狙っている。その傷は深すぎず,浅すぎず,絶妙なラインにある。それを著者は意図的に書いているのではないか。もしかするとそれを無意識に達成しているのかもしれない。どちらにせよ,それは著者の才能なのだと思う。

とにかく,大きくはないけれど,でもそれほど小さくもなく,心を動かされた作品だった。小説を含む,別の作品も読んでみたいと思った。そして,まだテレビ業界の下請け会社で働いている彼の話している姿を見てみたい。そこに私の「希望」もあるかもしれない。

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