自分の葬式に流す音楽を決めることを,自分の終活の一項目としている。前回は,マーラー第9番交響曲の第4楽章を第一候補として紹介した。今回はその第2弾として,ブルックナーの交響曲第9番第3楽章を挙げたい。
ベートーベン以降,交響曲を9つ書くと死に至るのではないかという迷信があったそうで,マーラーも9番目に作曲した交響曲は「大地の歌」として第9番の名前をつけなかった。そして前回紹介した第9交響曲を書き上げ,安心したところで第10番を作曲している最中に亡くなってしまった。マーラーの第10番交響曲は未完となったわけだけれど,ときどきその残された第1楽章が演奏されることもある。
今回挙げるブルックナー交響曲第9番も実は未完の作品である。第3楽章まで書き上げて,第4楽章を書いている途中で亡くなってしまった。やはり交響曲第9番の呪いはあるのかもしれない。
ブルックナーの交響曲は私はかなり好きな方で,長大だけれど壮大な楽想が素晴らしく,一時期よく聴いていた。実のところ1,2,6番の交響曲はほとんど聴いたことがないのだけれど,3番,5番,7,8,9番は何度も聴いていて,CDも何枚も所有している。
その中でも9番はもっとも厳しい音楽だと思う。第1楽章からして甘さが全くない。粛々と曲が進んでいく。第2楽章のスケルツォも厳しい限りである。笑顔はない。そして第3楽章。マーラー交響曲第9番の第4楽章は死の甘美さを有しているけれど,この第3楽章はそうした少しの甘えさえも許さない,なにもない終末の世界に流れているような,曲のイメージの色が思いつかない。そんなある意味モノクロな音楽である。
この楽章の秀逸なところは,クライマックスで最高潮に曲が盛り上がったのちに,ほんの少しだけ救いだと思われる旋律が遠くから聞こえるように演奏される箇所である。そのとき,灰色の薄暗い雲の切れ間から本当に薄い北の光が差し込むような気がする。その旋律は二度とは繰り返されず,そのまま曲は終了していく。
もしもこのあと第4楽章が書かれていたならば,どのような曲になったのだろう。ブルックナーは,第4楽章の完成が間に合わなかった場合にはその代わりに「テ・デウム」を演奏してほしいといったらしいけれど,テ・デウムはちょっと勇壮で華やかすぎる気がする。この作品は第3楽章で終了するのがやっぱり良い気がするのだ(第7番交響曲では,第4楽章が少し似合っていない気が聴く度にいつもしてしまう。第9番もそんな感じだったら残念だっただろうなので,これはこれでよかったのかもしれない)
私のための葬送曲としての問題はやはり曲の長さである。私の葬式は,行うとしても小さな規模になるだろうから,本曲のクライマックスまでにも届かず焼香の時間が終わってしまうに違いない。ブルックナーは譜面に「愛する神に」と書いて本作を神に捧げているけれど,この長大な作品は市井の一個人の葬式にはちょっと不釣り合いなのかもしれない。
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