2009年4月23日木曜日

「たこ足」と5本指の靴下

私は一足だけだけれど,
5本指の靴下を持っている.

足袋は先が親指用の袋と
その他の4本の指用の袋との
ふたつに分かれているけれど,
私の持っている靴下は,足の各指に応じて
先が5つに分かれているのである.

健康に良いというので,
うちの奥さんがよく履いていて,
私にも試しにということで買ってくれたものである.

それがなぜ健康に良いのかという理由は,
どうも足の指を自由に動かすことができるからだという.
確かに,足の指の間を広げると気持ちがいい.
そんなところから考え出されたのかもしれない.

しかし,実際に足の指を自由に広げることができる人は,
最近ずいぶん減ってきているようである.
これは,合氣道の稽古で見ているとよくわかる.
畳をつかむように足の指が開いて立っている人が
確かに少なくなってきているのである.

武術において身体が安定するように立つ,
というのは非常に大切である.
体勢が安定していれば,
自由なタイミングで技を出す,
あるいは相手の攻撃をよけることができるという
身体的なアドバンテージがあることは
もちろんのことだけれど,
実は心理的にも安定な体勢は不可欠なのである.
バランスのとれた体勢は,
安定な心理状態を生み出し,
なによりもその心が自在に
身体を動かすことができるからである.

そして安定した体勢を支えるのは,
他でもない2本の足なのである.
足の指がしっかりと畳をつかむように
少し開いて立っている
(けれど足先には力が入っていない)
人は,やはり余裕のある技を行う.
一方,足の指が開いていない人は,
やはりどこか不安定な気がするのである.

最近は,草履など履かず,靴を履くのが
もっぱらだから(もちろん私もそうだけれど),
足の指の存在など忘れている人が
多いのではないだろうか.

では私はどうかというと,
靴の中でもしっかりと大地をつかむように
足の指は動いている(と,思う).
少なくとも道場の畳の上では,
足の指先がちゃんと開いて立っている.
実はあるときに気づくまでそれが普通だと思っていた.

有名な富田常雄の小説「姿三四郎」の主人公
三四郎は,「山嵐」という必殺技を遣う.
実は,三四郎には実在のモデルがいて,
それは,講道館四天王のひとり,西郷四郎であることを
ご存知だっただろうか.
この「山嵐」というのが,現在柔道に伝わっている投げ技の
山嵐とは異なるものらしいのだけれど,
どうも背負い投げのように相手を背負いつつ,
相手の足を自分の足裏で払うというような技だったらしい.

富田常雄が
「西郷の前に山嵐なく,西郷の後に山嵐なし」と
述べたように,
「山嵐」というのは,どうも彼しか使いこなせない
特殊な技だったと言われている.
西郷だけがその技を遣えた理由の一つが,
彼の「たこ足」であると言われている.

「たこ足」というのは,幼少のころから
漁師の仕事に関わっていたために,
彼の足の指がまるでタコの吸盤のように
はりつくように働いたということから,
そう呼ばれるようになったらしい.

柔道のような技の体系であれば,
どんな体勢でも畳をつかみ,
時には相手の足を刈ったり,払ったりするのに,
たこ足は大変効果的であったろうと思う.
そしてそれは他の武術においても,
非常に有利なことは間違いないのである.

私の5本指の靴下は実はあまり出番がないのだけれど,
それを履くときにはいつも
西郷四郎のたこ足の話を思い出す.
でも,そんな話は別にして,
本当にこの靴下は健康に効果があるのかなと思う.


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