昔はずいぶんマンガを読んでいたけれど,
(どこかの首相を越える量だと思う)
最近はさっぱり読まなくなった.
面白いと感じるマンガが少ないことと
(私の感覚がもう古い?),
面白いと評判を聞いて読もうとすると,
すでに何冊も単行本が出ていて,
最新の単行本に到達するまでに要する努力を思うと,
(そこまで読むのが面白いのだけれど)
モチベーションが下がってしまうからである.
そんな私が数少なく読んでいるマンガのひとつ,
「バガボンド」(井上雄彦作)の最新刊を読んだ.
有名な作品なのでいうまでもないのだけれど,
吉川英治版の「宮本武蔵」が原作である.
(だから,おつうさんが出てくる)
私も吉川英治版の「宮本武蔵」は
高校時代に熱中して読んだので,
だいたいのストーリーは知っているけれど,
現在の「バガボンド」は,ずいぶんと
井上氏独自の世界になっている.
それはそれで面白く,新刊がでるのを
いつも楽しみにしている.
最近は,吉岡一門との対決が終わって,
戦う意味をもう一度考えているところである.
吉岡一門との対決といえば,ある小説によれば,
それが二刀流開眼のきっかけとなったことになっていた.
本当にそれが二刀流を編み出すきっかけと
なったかどうかは別として,宮本武蔵は
「二天一流」という二刀流の流派を創始している.
右手に大刀,左手に小刀を持って構える.
彼は,何事にも合理的であることを好んだので
例えば吉岡一門との対決のように複数人と闘うのであれば,
一刀にこだわる必要はなく,
(可能であれば)二刀を遣う方が合理的とも考えられる.
実は現代の剣道でも二刀で試合を行うことは可能なのであるが,
あまりそうした選手は少ない.
その場合,右手に大刀,左手に小刀を構えることが多い.
実際のところ,二刀の方が剣道の試合でも有利だと思うのだが,
残念ながら審判の判定が厳しくなるらしい.
例えば右手の大刀で受けて,左手の小刀で打ち込めば,
ずいぶん二刀が優位に立てると思うのだが,
この場合,小刀の打突はほとんど有効打と認められないらしい.
だから小刀で受けて大刀で打つのが一般的(?)とのこと.
しかし,小刀であれ,それが身体に触れれば,
十分にダメージを与えることができると思うのだけれど...
(ナイフで十分人は倒せる)
逆に大刀で相手を打つ方がずっと難しそうである.
だから結局二刀は不利になり,二刀流の選手は
少ないのだろう.
二天一流を創始した宮本武蔵が
この話を知ったら,ずいぶんと嘆くのではないか.
まぁ,彼は剛力だったという話もあって,
自由に二刀を扱えたかもしれず,
こんな話は関係ないのかもしれないけれど.
(二天一流の演武のビデオなどを見ると,
決して腕力で剣を振らず,むしろ上下の回転力を
積極的に用いているように思えた.
ただ二天一流といってもいろいろな派があって,
違う派では,また振り方も異なるのかもしれないが)
ただ武蔵は刀なんて扱いやすいように持てばよい,としか
言っていないらしい.
とにかく相手を倒すという目的のためならば
形にとらわれないというのが武蔵の考え方だったらしい.
実を言うと,宮本武蔵はその合理的な考えのあまり,
刀さえ捨てたという話がある.
彼の後半の立ち会いの多くは木刀を持って行ったとのことである.
(巌流島の戦いも木刀であった)
刀はうち折れやすく,重たいからだろうか.
しかし,ある雑誌に武蔵使用と伝えられる木刀の写真が
載っていたのを見たことがある.
なんと柄の部分に穴が開いていて,
そこに紐を通す構造になっていた.
それは血や汗で手がすべり,
木刀を落とすことを恐れたためと
伝えられている.
宮本武蔵の到達した境地を低く見る人も多いけれど,
少なくとも私は過去の習慣にとらわれず,
有用であると思ったら,躊躇なく取り入れるという
武蔵の先進性は評価されるべきだと思う.
まったく宮本武蔵は合理主義者なのである.
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